今日のみ言葉【No.1384】(2016年10月 6日) 034 「口をきけなくする霊につかれている息子とその父」(3)

しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。
(マルコ9:27)

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宮大工の小川三夫さんは多くのお弟子さんを抱え、彼らが独り立ちできるように育てていました。

「大工のこと一つだけわかれば、あとはみんなわかる」

「習いものなんかに行かないでいい」

そう言って、あれもこれもでなく、一つのことに集中するように指導しておられましたが、やはりチラリと不安がよぎったのかもしれません。

ある時、有名な寺の僧侶にこう尋ねました。

「老師、みんな、朝ここへ来て座禅を組んでいるようですけど、うちの職人にも座禅を組ませなくちゃいけませんか」

するとその僧はこう一喝したというのです。

「あんなのは暇人のするこった。おまえらはそれだけの時間があれば仕事をせい。それが座禅以上の修行だ」

寄り道をしても本当のことはわかりません。

小川さんは自分のやり方を全うすることが正しい道だと確信なさいました。

どの世界でも1つのことに集中し、極めて行った先に本物の道があります。

神の世界では「最善」がそのキーワードです。

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イエス様は汚れた霊を叱りつけました。

「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」
(マルコ9:25)

その結果どうなったでしょう?聖書はこう表現しています。

「すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。」
(マルコ9:26)

これを正しく見る人は、「良かった良かった。悪霊が出て行った」と肯定的に言うことでしょう。

しかしその時周りにいた人々は、同じ出来事を見ても否定的に見ていました。

「その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。」
(マルコ9:26)

もうダメだ、絶望だ、と、現実を真っ黒に塗りつぶしてしまったのです。

しかしイエス様は正確な事実を把握していたので、最善が成されたことを知っていました。

ですから、

「しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。」
(マルコ9:27)

と、静かに癒しの奇跡を明らかになさいました。

イエス様は私たち人間の手の届かない領域にまで手が届く御方です。

それだけではなく、その霊の領域を支配される御方なのです。

ですから、私たちがなすべきことは、この方を信頼し、最善が成されることのみを見つめて生きることです。

そう生きようと決心すると、その人生は、イエス様ご自身が手を取って私たちを立ち上がらせて下さる人生となります。

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悪霊に取りつかれるのではなく、最善に取りつかれようと決心されたY兄の話です。

Y兄には大きな心配事がありました。

朝目が覚めると一番最初に心にさっとよぎるので、すぐに祈ります。

「神様助けて下さい。お願いします。何とかして下さい」

彼はひたすら、それこそ必死に祈っていました。

ある日、それまで一緒に祈ってくれていた奥様からこう言われました。

「ねえ、あなた、そういう祈り、やめてくれない?こっちまでだんだん暗くなっちゃうわ」

Y兄は、自分は必死に祈っていたつもりだったが、実は否定的思いをばら撒いていただけだったのだと気づきました。

「聖霊充満」と祈りながら、実は最悪の状態を想像して「神様、最悪にだけはしないで下さい」という、恐れが充満していた祈りだったのです。

それからY兄はガラッと変わりました。

最善のみを思い描くように方向転換なさったのです。

「今日は人生最良の日。試練があってもそれは次のステージへのステップ。最善のみを思い描き、最悪は描かない。そして神様は最善のみをなして下さると信じて生きる」

まさに、悪霊に取りつかれるのではなく、最善に取りつかれた生き方です。

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」
(ピリピ4:13)

Y兄は今日もこの御言葉によって支えられ、神の最善の道を邁進しておられます。

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イエス様に立ち上がらせていただく最善の一日として参りましょう。

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