今日のみ言葉【No.1371】(2016年 9月21日) 030 「耳が聞こえず、口のきけない人」(2)
天を仰いでため息をつき、
(マルコ7:34)
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美容院やサロンで、初めてお店に来た新規のお客様に対して、
「ご希望はおありですか?」
と聞くと、一番多い答が
「伸ばしてるの…」
だそうです。
髪を切りに来たはずなのに、「伸ばしてます」という答は変に聞こえますが、無理もありません。
お互い初対面なのですから、まだ信頼関係ができていません。
そうすると、自分の髪に触れられることに抵抗を感じるのです。
人の心の中には、このような相反した感情が同時発生することがあります。
好きなのに嫌い、そばにいたいのに近寄ってもらいたくない、助けて欲しいけど自分だけの力でやりたい、等々。
癒しの中でも、「癒されたいが癒されたくない」という思いを多くの人が体験します。
体の調子が悪いけれども病院には行きたくない、というアレです。
体の一部に常に痛みがあるのが当たり前であったり、常に気分が沈んでいる毎日が日常であると、「癒し」という「非日常」の世界に入ることに恐れをいだくのです。
そこを乗り越えさせるのは、治療者の愛と熱意です。
イエス・キリストにはそれがありました。
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イエス様がこの男と1対1になり、彼の問題を解決しようとされた時、
「天を仰いでため息をつき」
(マルコ7:34)
という描写がなされています。
これは、
「あ〜あ、君、本当に治る気あるの?」
「あなたの信仰がなければ私は働けないんだよ」
という失望のため息ではありません。
イエス様の「ため息」は「うめき」です。
これと同じ言葉がローマ人への手紙第8章26節にあります。
「御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」
(ローマ8:26)
この「切なるうめき」が耳の聞こえないこの人へ発した「ため息」だったのです。
イエス・キリストは私たちに対して、ため息とも取れるような「うめき」を発してくださるのです。
進みたいけど進みたくない、信じたいけど信じられない、という私たちが、神の方向へと進んでいけるように、イエス・キリストはとりなしのうめきの祈りをなして下さるのです。
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イエス・キリストは私たちに失望のため息を吐いているのではなく、とりなしのうめきの祈りをなさっておられることを覚えましょう。
うめくほどまでに祈られている私であることを信じ、今日の一日を勇気を持って進んで参りましょう。
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