今日のみ言葉【No.1369】(2016年 9月17日) 029 「カナンの女」(3)
そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。
(マタイ15:28)
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カナンの女に対するイエス様の拒絶は、実はテストでした。
しかもそれは抜き打ちテストです。事前の準備は何もありません。
そのテストの最中、彼女の信仰は冷たい水を浴びせられ、鍛えられ、短時間のうちにめざましく成長しました。
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「女よ、あなたの信仰は見あげたものである」
(マタイ15:28)
とイエス様に言わせた個所は、原文では感嘆の意を表す「ω(オー)」が入っています。
また、「見上げたもの」とは「大きい」ということです。
ですから、直訳すると、
「おお!女よ、大きいなあ、あなたの信仰は」
となります。
水の上を歩いて、その後、溺れかけたペテロは
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
(マタイ14:31)
と言われましたが、この外国人の女とは全く対照的です。
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「疑う」というギリシャ語は「複製を作る。コピーを作る」ということから来ています。
つまり、2つの同じようなものを作ってしまい、その間で、
「あちらでもないこちらでもない」
と繰り返し揺れ動く姿が「疑う」ということです。
「水の上を歩ける」という信仰の方向。
それと全く正反対で同じ力を持つ「おぼれる」という恐れ。
これらを同時に持って揺れ動いたペテロの姿が「疑う」ということなのです。
それに対して、カナンの女の態度は「一心」でした。
「娘を癒していただく」というたった1つの思いしかありません。
イエス様の拒絶に対して、彼女はますます一方向に思いを磨いていく結果となりました。
そして、彼女自身、思いもよらないほどの信仰の成長へと導いていかれたのです。
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イエス様と出会う時、私たちの思いは神の御心の方向へと導かれていきます。
御心と信じる方向へと、一歩足を踏み出す一日として参りましょう。
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