今日のみ言葉【No.1368】(2016年 9月16日) 029 「カナンの女」(2)
すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。
(マタイ15:27)
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イエス様がカナンの女に対して取られた態度は、無視・拒否・侮辱というものでした。
無視:「イエスはひと言もお答えにならなかった」(23節)
拒否:「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」(24節)
侮辱:「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」(26節)
イエス様は愛ある暖かい救い主だと思ってきたのに、予想に反する現実が待っていました。
しかし、「娘をなおしたい。この方以外に娘を救い出せる方はいない」という強烈な信仰が、彼女の情熱をわき上がらせました。
それだけではなく、自分の分をわきまえている心が、イエス様に対する反発ではなく、謙遜に自らを低くする姿勢として現れました。
「小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」
(マタイ15:27)
神の沈黙は、カナンの女から、大胆に求める情熱と、信じ抜く忍耐力と、謙遜とを引き出したのです。
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イエス・キリストは誰に対しても黙る方ではありません。
聖書を読むと、求めにすぐお応えになるシーンはよく見られます。また、相手から求められる前からお応えになろうとしたこともあります。
一人々々に対して違った対応をなされるのです。
今回のこのカナンの女に対しては、その素質と性格を見抜き、彼女の中に秘められている「神のかたち」を最高の形で引き出すために最も良い方法を取られました。
それが沈黙だったのです。
神の沈黙の意味が全て分かるわけではありませんが、今回の聖書個所を通して分かる一つのことがあります。
それは、神の沈黙は、私たちの中から最も良いものを引き出すために行われている、ということです。
むしろ、沈黙の中で人は育て上げられ、養われ、神の芸術作品として出品できるようにしていただける、と言っても良いかもしれません。
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神の沈黙は、神の愛の意図を語っています。
静寂の中で、聞こえない御声を聞きながら、今日一日を歩んで参りましょう。
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