今日のみ言葉【No.1266】(2016年 4月13日)

わたしはあわれみをもってエルサレムに帰る。
(ゼカリヤ1:16)

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ゼカリヤが活動をした時代、人々は霊的に眠っていました。

「神殿建設は我々には無理だ」と感じる意識も無いほどまで、霊的に熟睡してしまったのです。

そのような人は自分で自分の目を覚まさせることはできません。

外部の刺激がなければ起きることはないでしょう。

しかし、起きたとしても、じきにまた寝ようとします。

なぜなら、目の前に見えるものは、自分の力の限界、生きている間には達成できそうもない難題の数々だからです。

それらを見れば自分の心を痛めつけるだけなので、人はそこから逃げようとし、避けようとします。

「祈っても願っても、どうせ神様は助けてくれないのだ」

そうとしか思えない人は、また眠りに逃げ込み、いっときでも痛みを忘れ、安逸を得ようとするのです。

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確かに神がイスラエルを見放し、助けを与えない時期はありました。

外国の軍隊の侵入やバビロン捕囚という出来事を通して、神はイスラエルに裁きを下します。

その時はどんなに国の平和と安定を願っても、聞き入れられないのです。

そして、預言者エゼキエルの時代、彼は主の栄光がエルサレムから離れていく幻を見せられました。

国は無くなりました。

神が関わるべきイスラエルという存在が無くなってしまったのですから、もう終わりです。

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しかし、無から有を呼び出し、死人を復活させる神は、次のステージを用意しておられます。

「わたしはあわれみをもってエルサレムに帰る。」
(ゼカリヤ1:16)

補囚の地で悔い改め、帰還した民に

「あわれみ」

を示して下さったのです。

これが眠りを破られた人が再度眠りに陥らないための特効薬です。

時代は確かに変わった。今度は神が「あわれみ」を持って接して下さる…。

この神の愛に触れ、十字架のキリストの福音を知る時、人の霊は眠りをむさぼるどころか、逆に生き生きと活動し始めるのです。

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」
(マルコ1:15)

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神の愛に触れる一日でありますように…。

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