今日のみ言葉【No.1674】(2017年12月25日)「 非常な喜び」
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
(マタイ2:10)
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クリスマスおめでとうございます。
今日は全世界の救い主イエス・キリストのご降誕をお祝いする日です。
それは非常な喜びの日であることを東方から来た博士たちが証ししています。
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彼らは東方(おそらく今のイラクのバグダッド辺り)からはるばる長旅をしてきた一団でした。
天文学の知識があった知的階級であり、黄金・乳香・没薬という高価な贈り物を携えて来るほどの経済力があった人々ですから、ヘロデ王との謁見もかないます。
「東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました』」
(マタイ2:1-2)
王宮に集められた祭司長・律法学者らの聖書の解き明かしにより、救い主はベツレヘムで生まれると知り、彼らはその最終目的地へ向かって進んでいきました。
すると、
「見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった」
(マタイ2:9)
とあります。
星が彼らをさらに導いたのです。
彼らはまだ幼な子イエスを見ていないのに、その星を見て、
「非常な喜びにあふれた」
(マタイ2:10)
とあります。
これが信仰による喜びの典型的例です。
すでにそうなったことを先取りして信じ、その結果としての大きな喜びを味わいながら生きる人生。
それは神を信じて生きる人の特権です。
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すでにそうなったと信じて生きる人は、そうなった時の感謝のしるしとして贈り物を用意しています。
ある年、山形講演会が終了し、来場者の皆さんがどっと出口に向かう時、誰かを探している様子の女の人を見かけました。
私が「どうなさいました?」と声をかけると、片言の日本語で話してこられました。
聞けば日系ブラジル人医師でクリスチャンでした。
日本各地の大学病院で研修を受けるために国から派遣されて来られたのです。
しかも、「山形に行ったら田中信生という牧師の教会へ行きなさい」と母国の教会で言われてきたので、全く誰も当てがないのにこの講演会に来たというのです。
私はこの出会いに神の導きを強く感じました。
なざなら私は責任者としてほとんど舞台裏に詰めているので、表に出るのはほんの数回だけで、そこでバッタリ顔を合わせたのがその人だったからです。
彼女は山形に滞在中、教会に来て共に礼拝を守り、また、教会の皆さんの助けで異国の生活の様々な苦労を乗り越えられました。
そして次の大学病院に研修先が移り、引っ越す直前、私たちにプレゼントをくれました。
それは「幸福の木」と名づけられた紫めのうの細工物でした。
「こんな重いものをよく持ってきたね」
と私が言うと、
「一番大事にしてくれた人にあげなさい、と母がもたせてくれました」
とその女医さんが答えてくれました。
見知らぬ日本の最初の研修先が山形で、誰も知らない人たちの中で神様が私と出会わせて下さり、教会生活と祈りを続けることができたことが彼女の心に大きな感動となってのことだったのでしょう。
彼女とご家族の信仰が、不安と心配の中に大きな喜びをもたらしたのです。
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このクリスマスに、あなたはどんな贈り物をしますか?
神を信じる喜びの中で生きるクリスマスとして参りましょう。
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