今日のみ言葉【No.1180】(2015年11月21日)
わたしはモアブの上にさばきを行う。そのとき、彼らはわたしが主であることを知る。
(エゼキエル25:11)
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駅で新幹線を待っていた時のことです。
10分前、5分前になっても、ホームに人はまばらです。
それに対して、向かい側のホームでは自由席車両が止まる場所に長蛇の列ができています。
「あの人たち大変だなあ。座れるかなあ…」
と思った瞬間、ハッとしました。
私がホームを間違えていたのです。
大急ぎで荷物を持って駅の階段を駆け上り、駆け下り…。
冷や汗と大汗をかいてようやく間に合いました。
「間違った!」と気づいた時は、即座に路線変更すること。
これがその時学んだ教訓です。
聖書にも、モアブ人という異邦人でありながら、真の神に路線変更したルツのことが記されています。
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エゼキエル書第25章はイスラエル周辺国家への裁きの章です。
モアブもその一つ。
かつて神はイスラエルに対して
「あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。」
(申命記7:6)
と定めておられたのに、モアブは
「ユダの家は、他のすべての国民と同様である」
(エゼキエル25:8)
と嘲笑しました。
これが裁きが下された理由です。
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ところが、同じモアブ人でも、姑のナオミに仕えた嫁ルツは違います。
彼女は
「あなたの神はわたしの神です」
(ルツ記1:16)
と言って、聖書の神を信じることを選び、ナオミと共にイスラエルに移り住みます。
見事な路線変更です。
そして彼女の子孫からダビデ王が生まれ、ルツはマタイ1章のイエス・キリストの系図に加わる栄光に預かるのです。
神に対してどのような態度をとるのか。
後で振り返れば、そこが人生の分かれ目だったことに気づきます。
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Aさんは経済的にも家庭的にも問題が満載で、いっそのこと川に身投げでもしようかとまで思いつめていました。
「なんだか妙だ…」とその異変を察知したクリスチャンの友人が、Aさんを教会に誘いました。
ところがAさんはその苦境の中で、いくつかの宗教を回り、救いを求めましたが、どれも空振りに終わっていたので、もう宗教には頼れないと思っていたのです。
しかしなぜかその時は心動かされ、お友達に誘われるまま教会にいらしたのです。
背後にそのクリスチャンの熱心な祈りがあったからでしょう。
この時がAさんの人生の路線が、今までの地獄のようなホームから、天国のホームへの変更の時となりました。
「そんなことではダメだ。もっと頑張れ」
という世界から、
「そのままのあなたが素晴らしい」
という世界への乗り換えが果たされたのです。
聖書の神に対してどのような態度をとるのか。
それが未来の行き先を変えていきます。
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神が人間に最初になされた質問は、
「あなたはどこにいるのか」
(創世記3:9)
です。
今日、私は、どのホームに立って、どこ行きの人生の列車に乗ろうとしているのか。
しっかりと路線を定める今日の日として参りましょう。
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