今日のみ言葉【No.962】(2015年 1月23日)
主はまことをもってダビデに誓われたので、それにそむくことはない。
(詩篇132:11)
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「だから言ったでしょ」
は米沢興譲教会スタッフの間では禁句です。
自分の意見を相手が聞かず、結局こちら側の考えが正しかったことが証明され、相手がそれで苦労しているのを見ると、人間、どうしても
「だから言ったでしょ」
と言ってやりたくなるものです。
しかしこれは傍観者的態度です。
教会スタッフは相手の失敗を傍目で冷ややかに見ているのではなく、率先してその中に巻き込まれ、一緒にその蒔いたものを刈り取ることが求められるのです。
なぜなら、その行動の中にこそ、相手が「愛だなあ」と感じる愛があるからです。
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神もそのように人間の失敗の中にあえて飛び込まれ、そこで大いなる愛の業をなして下さるお方です。
今年、2015年の標語聖句は
「下に根を張り、上に実を結ぶ」
(イザヤ37:31)
ですが、イザヤ書37章でイスラエルは大国アッスリヤの侵入に遭います。
実はそれ以前に、ヒゼキヤ王は預言者イザヤの言葉を無視してエジプトと同盟を結んでいましたが、結局何の助けにもなりませんでした。
イザヤを通して神様から、
「だから言ったでしょ」
というお叱りの言葉が聞こえてきそうです。
しかし神は、不従順なヒゼキヤが必死に祈る祈りを聞いて下さいました。
「わたしは自分のため、また、わたしのしもべダビデのために町を守って、これを救おう」
(イザヤ37:35)
ただしこれは不十分なヒゼキヤを大目に見てあげて、「しょうがないなあ」とその願いをかなえてあげたのではありません。
ダビデと結んだ約束を果たすために神は行動されたのです。
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私たちも不十分な者です。
神の前に何の功(いさおし)もありません。
神が祈りを聞いてくださるのは、祈りの最後の
「イエス様の名によって」
のひとことがあるからです。
イエス・キリストのお名前を通して祈るゆえに、私たちの祈りは神の前に届けられ、神はご自分が結ばれた約束を忠実に果たしてくださるのです。
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私たちは時に心が揺れ、迷い、聖書の約束を信じきれない不忠実さがある者です。
しかし神は忠実なお方です。
この方が結ばれた約束に信頼し、今日も祝福の基となる一日を築きあげてまいりましょう。
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