今日のみ言葉【No.1177】(2015年11月18日)
破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにする者
(エゼキエル22:30)
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今日の聖句で現される人物とは、神と民との間に立って、民のために神にとりなしの祈りをする人です。
創世記第18章で、神がソドムとゴモラを滅ぼそうとされた時、アブラハムは神にこう言いました。
「たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。」
(創世記18:24)
それに対して神は、
「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」
(創世記18:26)
と答えられます。
アブラハムの真骨頂はその後に続きます。
彼はなおも神に食い下がり、では45人では、40人では、30人では、20人では…、必死になって祈り、最終的に
「アブラハムは言った、『わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら』。主は言われた、『わたしはその十人のために滅ぼさないであろう』」
(創世記18:32)
というところまで行きます。
「破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにする者」
(エゼキエル22:30)
とはこのような人のことを言うのです。
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残念ながらソドムの町には10人も義人がいなかったので、神は
「硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて」
(創世記19:24)
罪の町を滅ぼしてしまいました。
アブラハムのとりなしの祈りは無駄に終わったように見えますが、助かる可能性は確かにあったのです。
神は、結果はどうあれ、このような人を求めておられます。
エゼキエルの時代、イスラエルが滅亡に瀕する直前、神はあえてこの
「破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにする者」
(エゼキエル22:30)
を
「彼らのうちに尋ねた」
(エゼキエル22:30)
とあります。
しかし、そのような人は一人も
「得られなかった」
(エゼキエル22:30)
のです。
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神は、物事がダメになっていったり、滅んでいくことを基本的には望んではおられません。
神と共に命が盛んになることを望んでおられます。
ですから、今日も、私たちの間に、とりなしの祈り手を求めておられます。
そのことを覚え、粘り強く祈る一日として参りましょう。
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