今日のみ言葉【No.1139】(2015年 9月25日)

イシマエルは、…、バビロンの王がこの地の総督としたシャパンの子アヒカムの子であるゲダリヤを刀で殺し
(エレミヤ41:1-2)

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「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」

2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」最優秀賞作品を受賞した山崎博司氏のキャッチコピーです。
(http://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2013.html)

なるほど、鬼の子どもからすれば桃太郎は英雄ではなく、親を殺した悪人中の悪人です。

この作品のタイトルは

「めでたし、めでたし?」

ですが、そう設定したところに山崎氏の訴えたいことが透けて見えるようです。

立場を変えれば、善は悪と見え、悪は善と見えるのがこの世の中なのです。

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エレミヤ書第41章では、エルサレム陥落後のイスラエル(南ユダ王国)を治めるゲダリヤがイシマエルに暗殺されてしまいます。

ゲダリヤの祖父シャパンはヨシヤ王の改革を助けた人であり、父アヒカムはエレミヤを救った人です。

ですから、ゲダリヤは悪を企む人物とは言えなかったでしょう。

しかし、ダビデ王家の血筋を引くイシマエルにとって、王の家系以外の者が国を治めることは許し難いことでした。

まして総督とは言っても結局はバビロンに貢物を納めさせる役目の人物ですから、イスラエルから富を奪っていく人間としか見えません。

イシマエルにとってゲダリヤは「悪」であり、この世から彼の存在を消すことが「善」でした。

人はこのようにして正しいことを行ったつもりで、実はそこからかけ離れていくのです。

人間による善悪の基準ではなく、神からの基準が与えられる必要がここにあります。

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先日、親元から離れた息子の生活が不安定なのでどうしたらいいか、というご相談を受けました。

親としては一生懸命励ましているつもりなのですが、電話で息子さんと話す中に、ある一定のパターンがありました。

最初は必ず

「大丈夫か?」

最後は必ず

「頑張ってな!」

です。

これでは相手にエネルギーが伝わるどころか、かえって奪っていることに親は気づいていません。

「大丈夫か?」とは、相手が大丈夫でない、という前提で出てくる言葉です。

実は親の方が自分の心配を息子にぶつけて

「大丈夫だよ、お母さん」

という言葉を無理矢理子どもから引き出し、安心したいだけなのです。

こうやって子どもからエネルギーを吸い出し、元気をなくさせていることに母親は気づきません。

「頑張ってな!」も同様で、相手が頑張っていないと見えるので、ガンバレと言うのです。

十分頑張っている様子が見えれば、むしろ「休んだら?」と言いたくなるでしょう。輪をかけて「頑張れ」とは言わないはずです。

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「不安定でダメな息子」と、自分からは正しくそう見えるのかもしれませんが、一旦自分の「善」を脇に置いて、神様はどう見ておられるのか、と視点を変えることがポイントです。

神は何と言っておられるのか?

「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」
(エペソ2:10)

「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」
(創世記1:31)

神の良き作品である我が子、と見るのが神から見た正しい見方です。

ですから先程の親御さんの言葉は、

「大丈夫か?」→「大丈夫だな」

「頑張ってな!」→「頑張ってるな」

と変えて使っていくことが最初の一歩です。

命である神の言葉を使っていくと、やがてその命が伝わります。

お子さんが生き生きしてくるのがその証拠です。

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私たちを素晴らしい存在として見て下さる神の目で自分を見、神の作品としての歩みを今日も続けて参りましょう。

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