今日のみ言葉【No.1135】(2015年 9月17日)
こうしてエレミヤは監視の庭にいた。
(エレミヤ37:21)
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庭のキンモクセイが花を咲かせ、甘い香りを漂わせる季節がやって来ました。
しかし、人によってはこの匂いに妙な不快感を持つ方がおられます。
トイレの消臭剤が世に出てから、香りの定番はこのキンモクセイで、トイレを連想させるからです。
ですから、現在の商品のラインナップからはキンモクセイは外れてしまいました。
その後、ラベンダーが主流となり、それも同じ理由で嫌悪感を抱く人が出てきたので、今は石鹸の香りが流行りなのだそうです。
同じ匂いでも人によって快・不快が分かれるように、同じ環境でもそれを幸いと感じることも不幸と感じることもできます。
さて、あなたはどうでしょうか?
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エレミヤ書第37章では、エレミヤが王の庭で監視されて過ごしたことが記されています。
エレミヤは一般の人々には「国賊」と思われていました。
バビロン補囚を預言し、降伏することこそ命を保つ道であると語っていたからです。
彼は捕らえられ、獄に入れられますが、ゼデキヤ王はひそかにエレミヤを宮廷に連れ出します。
エジプト軍が来たことでバビロン軍は退却し、これで危機は去ったと思っていたゼデキヤ王でしたが、それは一時的なもので、バビロン軍が再び迫ってくるという情勢の変化があったからです。
ゼデキヤは中途半端で優柔不断な男でした。
国内の戦争推進派を制御することができず、かと言ってエレミヤの預言に従うこともできず、現状維持をするだけです。
それが「パン一個」という言葉に表されています。
「そこでゼデキヤ王は命を下し、エレミヤを監視の庭に入れさせ、かつ、パンを造る者の町から毎日パン一個を彼に与えさせた。」
(エレミヤ37:21)
しかし、周りが変化する中にあっての現状維持は、実質的な後退です。
そのまま彼はズルズルとイスラエルという国も民をも滅亡へと巻き込んでいってしまいました。
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新約聖書にも彼と同じように、良心の呵責を覚えて神の言葉を聞きはするが、従えない人が出てきます。
ヘロデ王です。
「それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。」
(マルコ6:20)
このような人は、強烈な意志を持つ人によって動かされます。
それは彼の妻ヘロデヤでした。
バプテスマのヨハネの正確な罪の指摘に恨みを持った彼女は、巧妙な方法で夫ヘロデにヨハネを殺させようとします。
彼はこれを拒むことができず、神に反する道を進まざるを得ない人生を送ることになりました。
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このような中にあって、エレミヤの生活は何と平安なことでしょうか。
確かに、捕縛、拷問、劣悪な環境の牢獄生活、と続き、今も監視の庭にいます。
しかし視点を変えれば、王の監視の中で安全が保証され、毎日1個のパンが確実に与えられる日々であったのです。
神の言葉を語るという使命を果たそうとする時、神は不思議な方法で人を養って下さるのです。
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今日も神の庭で過ごしていることを覚える一日として参りましょう。
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