今日のみ言葉【No.1123】(2015年 9月 4日)
ひと言をも言い残しておいてはならない。
(エレミヤ26:2)
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携帯電話がスマホになっても必ずあるのが留守電機能です。
電話に出られない時、相手の伝言を正確に残してくれて、何度でも再生可能なので助かります。
神の「留守電」は預言者たちの働きでした。
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神はエレミヤに
「ひと言をも言い残しておいてはならない。」
(エレミヤ26:2)
と命令しています。
神の言葉を預かる者は、割引することも水増しすることもなく、忠実に全てを伝えなければなりません。
右から左に何も変えずに送ればよいのですから簡単そうに見えますが、本質を変えずに純粋性を保つということですから、この作業は困難を伴うことでもあります。
特に、エレミヤを始めとする神の預言者たちは、時の権力者に向かっても語りました。
権力者の意に反することを言えば、処罰・投獄。最後まで懲りなければ「死」の罰が下されます。
ですから、文字通り「命がけ」で語らざるを得なかったのです。
事実、23節では同じ預言者ウリヤは捕らえられ、殺されています。
しかし、エレミヤはシャパンの子アヒカムの庇護の下、助かります。
書記官シャパンは、長らく人々の目から遠ざかっていた律法の書が発見された時、ヨシヤ王に読んで聞かせた人です。
その子アヒカムという味方を神は備え、アヒカムはここぞとばかりにエレミヤを援護しました。
彼にはエレミヤは真の預言者であるという確信があったからです。
では神の預言者の味方になれば安泰かというとそうでもなく、そのアヒカムの子のゲダリヤは最後までエレミヤをかばい続けますが、反対勢力に暗殺されてしまいます。
神のために生きる時、本当に命をかけて生きるという場面が出てくるのです。
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宗教改革者のマルチン・ルターでさえ、当初はキリスト教の異端者扱いでした。
皇帝から自説の撤回を求められた時の有名な言葉があります。
「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」
我が身と家族の命を守るために、彼は神の言葉を曲げて伝える選択肢が提示されていました。
しかし、
「ひと言をも言い残しておいてはならない。」
(エレミヤ26:2)
という神の迫りのほうが大事だったのです。
その正しさは、歴史が証明しています。
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人生の分岐点に立った時は、神の言葉の照明を当てましょう。
御心の道を選ぶ一日として、今日も歩ませていただきましょう。
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