今日のみ言葉【No.1124】(2015年 9月 5日)

あなたがたは、バビロンの王のくびきを自分の首に負って、彼とその民とに仕え、そして生きなさい。
(エレミヤ27:12)

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ハンバーガーなどの「ファストフード」は「ファーストフード」ではありません。

「fast food」のfastは「速い」という意味です。

つまり、注文してから待たずに、すぐ食べられるという意味で「速い(ファスト fast)」ということなので、ファストフードと言われるわけです。

欲しい物を今すぐ手に入れたい、という人間の欲求を上手に満たしてくれます。

しかし神は時間をかけ、人間に苦労をさせて、永遠に続く本物の祝福を得させようとなさいます。

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エレミヤ書第27章は「軛(くびき)の預言」と言われるところです。

「くびき」とは、牛などの家畜の首に課せられた木の枠で、これに棒状の農機具をつなぎ、畑を耕すために使われました。

牛はくびきを負うことによって自由が制限され、働かされることになります。

イスラエルはバビロンの軛を負え、そして不自由な環境の中で生きよ、それが神の御心である、という預言です。

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「いや、そんなことはない。神の民は祝福される運命にあるのだから、バビロンのほうが負け、イスラエルは再び栄える」

と希望的観測を述べた人々が偽預言者たちです。

確かにアブラハムを通して約束された祝福の契約は必ず果たされますが、「欲しい時に」「今すぐ」という人間の思い通りにはなりません。

当時のイスラエル社会には不正がはびこり、道徳的にも非常に低い水準に陥っていました。

神の祝福を独り占めするのではなく、全世界に行き渡らせる使命を果たす民となるように、神はこの民を新しく生まれ変わらせようとなさいました。

そのために神は70年の「バビロン捕囚」という「くびき」をイスラエルの首にかけ続けられました。

つまり、不自由な中で生きよ、しかも生きている間にその労苦の報いを見ることはない、という時代を過ごすことが神の御心だったのです。

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ですから、彼らに見えるものは「絶望と死」のみです。

しかし、人の見える限界のその先に、神が見せて下さる「希望と命」があります。

「終わった…」としか人間には見えませんが、実はその「終わり」の先に「続き」があるのです。

それは新たな「始まり」です。

人間が見ようとしても見えないその先に、神は希望を用意し、今の労苦が無駄にならない未来をすでに造り出してくださっているのです。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
(マタイ11:28-30)

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終わりの先に続きがあると信じる人生を、今日も生かされてまいりましょう。

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