今日のみ言葉【No.1114】(2015年 8月26日)
荒野に育つ小さい木、…、水のほとりに植えた木
(エレミヤ17:5、7)
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渓流釣りではよく知られている「ヤマメ」と海から川に戻る大きな魚の「サクラマス」。
名前も顔も異なり、大きさでもサクラマスはヤマメの倍以上に大きい魚ですが、実は全く同じ卵から生まれています。
川だけで生息すると小型の「ヤマメ」となり、海に出て過ごすと大型の「サクラマス」になるのだそうです。
全く同時期に同じ場所で孵化した稚魚が、環境によってこのように大きな違いが現れるとは驚きです。
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今日の聖句は、荒野に育った木と水のほとりに植えられた木の違いを述べています。
どちらも同じ木です。
しかし荒野は、
「干上がった所に住み、人の住まない塩地」
(エレミヤ17:6)
です。
大きく育つことはできず、良い実を期待することはできません。
荒野に育つ小さい木とは、
「人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人」
(エレミヤ17:5)
を意味しています。
一方、「水のほとりに植えた木」はどうでしょう。
「その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」
(エレミヤ17:8)
とあります。
灼熱の太陽と干ばつが続いても、涼しい顔で常に実を結びます。
水のほとりに植えられているので、根がすぐ川に到達し、そこから命の水を得られるからです。
「主にたより、主を頼みとする人」
(エレミヤ17:7)
とはこの「水のほとりに植えた木」としてたとえられている人のことです。
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どうせ芽を出すのなら、水のほとりに種が蒔かれればよかったのに…、と思われますか?
大事なのは、生まれた環境でも生来の素質でもないことです。
この2本の木はどちらも同じ木です。
しかも聖書をよく見ると、
「水のほとりに植えた木」
ですから、自然木ではないことが分かります。
荒野から移され、移植され、そこに根付くようにしてもらったのです。
私たちは、神に信頼する関わりを通し、良い木として良い実を結ぶ人生を送らせていただけるのです。
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御言葉を通し、活ける命の水をたっぷりいただき、今日も精一杯成長させていただきましょう。
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