今日のみ言葉【No.1113】(2015年 8月24日)
わたしがこの民からわたしの平安と、いつくしみと、あわれみとを取り去ったからである
(エレミヤ16:5)
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映画「男はつらいよ」シリーズで主役を演じた渥美清さん。
寅さんのイメージを崩さないように、渥美清のプライベートな生活は表さず、人前ではいつも笑顔を振りまいていました。
亡くなる時の遺言も、
「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」
というものだったそうです。
役に徹する生き方の厳しさを全うされた人生でした。
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エレミヤも預言者として厳しい生き方を要求されました。
第16章で表されていることは、彼は結婚を禁じられたことです。
「あなたはこの所で妻をめとってはならない。またむすこ娘を持ってはならない。」
(エレミヤ16:2)
新約聖書のパウロは独身の賜物を持っていましたから、独身を通すことに何の不自由も感じていません。
ですから彼は
「結婚しない方がもっとよい」
(第1コリント7:38)
と言っているほどです。
しかし、エレミヤはそうではありませんでした。
それは、エレミヤが味わう苦しみが、そのままイスラエルの民が味わう苦しみとなるという行動預言だったのです。
彼らは自分たちが犯した罪ゆえに、現状からの回復という道が絶たれ、一度全く滅ぼされ、無から有の創造という形で神の力で再生されるように定められました。
ですから、
「わたしがこの民からわたしの平安と、いつくしみと、あわれみとを取り去ったからである」
(エレミヤ16:5)
とまで言われ、エレミヤには家族もなく孤独な生活を送らせ、それがそのまま将来のイスラエルが味わう生活となることを示されたのです。
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裁きを受ける時は、さっさと裁きを受けたほうが良いのです。
いたずらに引き伸ばすのではなく、潔く、
「すいません!」
と言って、払うべきものを払い、受けるべき罰があれば甘んじて受け、逃げずに頭を下げ続けていけば良いのです。
そういう人が、再スタートを切れます。
神は人が悔い改めない前から、悔い改めた時のための計画を準備しておられるからです。
有名な
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
(エレミヤ29:11)
という約束には、
「バビロンで七十年が満ちるならば」
(エレミヤ29:10)
という条件があります。
つまり、イスラエルの民はこのままの状態で助けられるのではなく、エルサレムが滅亡し、ひどい苦しみを受け、バビロンという他国に連れて行かれ、70年もたち、人間的希望など全く立たなくなった状況が必要なのです。
滅亡は、実はゼロからスタートできる恵みの計画の一部なのです。
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「わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し」
(エレミヤ29:10)
という神の言葉は確かです。
この言葉があるからこそ、私たちは進んで裁きを受けることができ、悔い改めようと決心することができるのです。
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平安と、いつくしみと、あわれみとが取り去られた人生など送りたくないのが私たちの本音です。
しかし、無から有を起こされる神のわざを見る人生は、そのようなところから始まっていきます。
主の御手の中で生かされる恵みを味わう一日を今日も送って参りましょう。
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