今日のみ言葉【No.1115】(2015年 8月25日)

イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。
(エレミヤ18:6)

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エレミヤ書第18章では、有名な陶器師の話が記されています。

陶器師が粘土を自分の意のままに操り、意にそぐわなければ潰してまた新たに練り上げ…、を繰り返す姿です。

主権者なる神が人を思いのままに造り上げることができるのは当然のことだ、というメッセージです。

しかしそうなると、人間が何を望んでも、いかに努力しても、結局神の考え次第で「グシャッ」と潰されてそれで終わりになる気がします。

「どうせ神の思い通りにしかならない…」

「私の思いを祈っても、それは通らない」

「結局、御心しかならないんでしょ!」

という虚無的気分になりそうです。

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それに対して、御言葉を注意深く読んでいると、そうではないようです。

確かに、

「粘土で造っていた器が、その人の手の中で仕損じたので、彼は自分の意のままに、それをもってほかの器を造った。」
(エレミヤ18:4)

とありますが、

「もしわたしの言った国がその悪を離れるならば、わたしはこれに災を下そうとしたことを思いかえす。」
(エレミヤ18:8)

と、人間の応答によって神は災いの計画をおやめになる、とおっしゃっています。

その逆もあります。

「もしその国がわたしの目に悪と見えることを行い、わたしの声に聞き従わないなら、わたしはこれに幸を与えようとしたことを思いかえす。」
(エレミヤ18:8)

神の主権は変わりませんが、人間の応答次第で御心を変えられる御方だ、とご自分を表しておられます。

ですから、

「あなたがたはおのおのその悪しき道を離れ、その道と行いを改めなさい」
(エレミヤ18:11)

と語っておられるのです。

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主の御手の中の幸いを味わう一日となりますように…。

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