今日のみ言葉【No.1074】(2015年 6月30日)
見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。
(イザヤ43:19)
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学校給食の定番だった牛乳を取りやめる自治体が出ています。
思えば、弁当が当たり前の時代から給食の時代へ。
毎回パンだった給食がご飯も出るようになり、そしてご飯に合わないからという理由で牛乳がなくなり…。
今まで想像もできなかった新しい時代が、当たり前のようにやってくるのです。
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イザヤ書第43章は豊富な内容を持った章ですが、その中でも終末の地球の大変革を取り上げてみましょう。
「見よ、わたしは新しい事をなす」
(イザヤ43:19)
とは、
「荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」
という公共事業の土木工事を想像させますが、聖書が語るこの自然界の変容はもっともっとスケールが大きいものです。
なぜならその直前の節に
「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。」
(イザヤ43:18)
と、わざわざ断り書きが出されてあるくらいだからです。
「さきの事」とは出エジプト時、紅海が二つに分かれ、海の中をイスラエルの民が歩いて渡った出来事を言っています。
これだけでも凄いことなのに、
「そんなのは些細なことだ。忘れろ、忘れろ。あの時とは比較にならないくらいの新しいことが起きるのだぞ」
と神が言っているかのようです。
世界の終末の時、救い主メシヤ、つまりイエス・キリストが再臨し、地球全体の環境が理想的状態に回復される様子がこの第43章で預言されているのです。
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私たちの心に、この救い主を迎え入れる時、神は今日の聖句と同じように人生の大変革をもたらしてくださいます。
あるおばあちゃんの葬儀をした時のことです。
本人の洗礼の意思を確認し、まだ元気な今のうちに、というご家族の希望で洗礼式をした1か月後、神様は待っていたかのようにおばあちゃんを天国に連れて行かれました。
実はこのおばあちゃんは、生前「意地悪ばあさん」として有名な方で、周りの方々はずいぶん振り回されたようです。
ところが、ご家族の祈りが聞かれ、教会に来られるようになり、ついにイエス様を救い主として信じ受け入れ、天国への希望をいただいた頃から徐々に表に変化が出始め、今思えば洗礼式の時が最高に輝いた時でした。
というのは、その洗礼式の時に私が何気なくデジカメで撮った写真が告別式の遺影として採用されたからです。
葬儀の会場に続々と人々が入ってこられます。
すると、その中から、突然、
「あらら、ウソ!これがあの人?」
という声が聞こえてきました。
どうやら、かの「意地悪ばあさん」の過去の被害者らしき方々からの声です。
写真の中の、喜びに満ちた聖なる感じさえ漂わせる笑顔と、自分が持っているあの意地悪な顔の記憶と一致しなかったのでしょう。
「こんなに変わるものか。まるで天女(てんにょ)のようだ」
とつぶやかれ、キリスト教の葬儀ですから「南無阿弥陀仏」とまでは声に出しませんでしたが、持っていた数珠を擦り合わせて一生懸命お棺と遺影の前で祈っておられる姿が印象的でした。
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神は地球も人も変えられます。
今日もキリストの救いを得て、変革の道を進んで参りましょう。
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