今日のみ言葉【No.1067】(2015年 6月22日)
あなたが頼みとする者は何か、…、しかし民は黙ってひと言も答えなかった。
(イザヤ36:4、21)
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私は以前、自宅にサーバーを開設していたので、
「どうぞいらして下さい」
とルーターの80番ポートを開ける設定にしていました。
すると、毎日数百件の不正アクセスがありました。
一般のご家庭でも同じです。
「どこかに穴はないか」
とハッカーのスキャンはあなたのお宅にも及んでいます。
しかし、私のように自分から穴を開けていなければ大丈夫です。
ルーターは不正アクセスに対して何も反応しませんので、ハッカーが使うプログラムは、
「ここは反応なし」
と判断し、次の標的を狙いに移って行くからです。
何も反応しないこと。
これがインターネットの時代に有効な安全策のひとつです。
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今日の聖句の背景には、紀元前701年のアッスリヤの脅威があります。
敵軍の軍使ラブシャケがエルサレムにやってきて、降伏を勧告するのです。
それは勧告というより脅迫であり、イスラエルの神をこき下ろす傲慢な語り口でした。
「あなたが頼みとする者は何か」
(イザヤ36:4)
「神を信じることなど何の助けにもならぬのではないか。頼りにするなら我が軍を頼りとせよ。そうすれば安泰な生活を約束するぞ」
と、アメとムチを使い分ける巧妙な誘い方で、ラブシャケは労せずイスラエルを自分たちのものとしようとしたのです。
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これに対して、
「しかし民は黙ってひと言も答えなかった」
(イザヤ36:21)
という反応を示しました。
恐ろしくて混乱して何も言えなかったのではありません。
「王が命じて、『彼に答えてはならない』と言っておいたからである。」
(イザヤ36:21)
という理由からでした。
彼らはヒゼキヤ王の言葉の方に従ったのです。
ヒゼキヤは善王でしたが、常に100%預言者イザヤの言葉に従ったわけではありません。
従う時もあれば、迷うこともあり、イザヤに隠れて自分の考えを通すこともあり、その結果で右往左往する一人の人間でした。
しかし彼は基本的には神に立ち返る王でした。
民はその王に信頼したのです。
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不動の信仰は理想ですが、現実は波打つ心に揺らされるのが私たちの信じる心のありのままなのではないでしょうか?
あるときは鏡面の湖水のように平静であり、ある時はどこに神がいるのかと不安で動きまわるもの…。
それが私たちの実態です。
おそらく、その当時のイスラエルの民も同じ心であったでしょう。
その時に彼らを救うキーポイントなった行為は、
「しかし民は黙ってひと言も答えなかった」
(イザヤ36:21)
ということです。
こらえ切れずに、愚痴をこぼしたり弱音を吐いたり、何度もそのようなことを私たちは繰り返します。
しかしその先に神の救いのわざがあることを知るたび毎に、私たちはひと言も答えずにじっと神のなされるわざを待つことができるようになっていくのです。
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今日も静まって、神の御手の動きを見せていただく日として参りましょう。
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