今日のみ言葉【No.4037】(2026年10月28日)「孤独と不安からの解放」
その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない。
(レビ記13:46)
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「ソーシャルディスタンス」「三密」「クラスター」といった言葉を、日常会話で耳にする機会は少なくなりました。
しかし、以前と同じ生活に戻ったかというと、そうとは言い切れず、変わったことも少なくありません。
たとえば、コロナ禍の最中は、病院のお見舞いや施設での面会には厳しい制限がかけられ、その影響が今も残っているところがあります。
また、教会の会堂に集って礼拝をささげるだけでなく、インターネットの動画を通して礼拝に参加することも、広く行われるようになりました。
新型コロナウイルスの流行は、人と人とのつながりを隔てる大きな影響を残したと言えます。
レビ記では、重い皮膚病と判定された人々は、宿営の外で離れて住まなければならないと記されています。
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当時のイスラエルでは、祭司による判定に従い、汚れているとされた人は共同体から離れて暮らす必要がありました。
これは現代の入院のようなものではなく、宗教的な規定によって共同体から隔てられる生活でした。
レビ記13章45節には、次のように記されています。
「患部のある重い皮膚病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない」
(レビ記13:45)
これを現代風に翻訳して言えば、ボロボロの衣服を着て、髪も髭も伸び放題にし、自分の方から「汚れた者」と叫んで、周囲に告げなければならなかったということです。
その人たちが孤独や不安を抱えて過ごしたであろうことは、容易に想像できます。
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イエス・キリストは重い皮膚病の人たちを避けられたでしょうか。
レビ記の規定では、汚れていると判定された人は宿営の外で暮らすことになっていました。
しかし、マルコによる福音書には、イエス様がそのような人に向き合われた姿が記されています。
一人の患者が来て、
「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」
(マルコ1:40)
と願い求めた時、
「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた」
(マルコ1:41)
と記されています。
すると、
「重い皮膚病が直ちに去って、その人はきよくなった」
(マルコ1:42)
のです。
ここには、苦しむ人を遠ざけるのではなく、その人に近づかれるキリストの姿があります。
私たちはこの方を信じ、自分の孤独と不安の中に迎え入れるのです。
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早く立ち直ろうと、自分をむち打ってはいけません。
主イエスを信じても、寂しさや不安がすぐに完璧になくなるとは限らないからです。
それでも、イエス様は共にいてくださいます。
「イエス様、私の心の中に入ってきてください」
とイエス様に心を開いて祈り、すぐには変わらない状況の中でも主の愛に信頼し、神の助けを受けながら、信仰の道を歩んでまいりましょう。
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