今日のみ言葉【No.3790】(2025年12月 2日)「大いなる嘆き(1)」

ナツメヤシの木

いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、
(ルカ19:41)

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「泣く」という表現には、「すすり泣く」や「忍び泣き」のように静かに泣く場合もあれば、「号泣する」のように、声をあげて激しく泣く場合もあります。

イエス様がエルサレム入城直前に泣かれたのは、まさに声をあげて嘆き悲しむ、大きな泣き方でした。

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イエス様は十字架につく週の日曜日、エルサレム入城を果たしました。

それはご自分が旧約聖書で預言されてきた救い主(メシア)であることを明確に表した出来事です。

人々は棕櫚(ナツメヤシ)の枝を持って歓迎しました。「棕櫚(しゅろ)の聖日」という呼び名はここから来ています。

旧約聖書の預言がついに成就したのですから、喜びの入城のはずですが、そうはならず、むしろイエス様の大いなる嘆きが記されています。

「いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた」
(ルカ19:41)

イエス様は泣かれました。

しかし、これは、ただ単に涙を流して泣いたと言うだけでは足りないほどの泣き方です。

原語のギリシャ語では、「クライオー」という語が使われています。

これは、大声で叫ぶように泣く深い悲しみを表す言葉です。

クライオーは死を悼む場面で用いられています。

ヘロデ大王がベツレヘムの2歳以下の男の子を殺せと命令した時の母親たちの嘆きがこれです。

「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。
(マタイ2:18)

また、ヤイロの娘が死んだ時、泣き女たちがこのように泣いています。

「彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり」
(マルコ5:38)

なぜこのようにイエス様は人目もはばからず、大泣きに泣かれたのでしょう?

そこには重大な理由がありました。

以下、次回に続きます。

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キリストは人目もはばからず泣かれるほど、人の滅びを悲しみ、救われることを切に願う御方です。

この方の愛に目を開き、愛されて生かされている祝福を覚えてまいりましょう。

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Posted by maruyama