今日のみ言葉【No.816】(2014年 5月 1日)
知恵を得るのは真珠を得るのにまさる。
(ヨブ記28:18)
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イソップ童話に「酸っぱいブドウと狐の話」があります。
きつねがおいしそうなぶどうを見つけます。
飛んだりはねたり、何とか取ろうとしますが、何度やっても届きません。
疲れ果てた狐は最後にこう言います。
「あのブドウは酸っぱいのさ」
そして、そそくさと立ち去っていった、というお話です。
心理学ではこれを自己防衛機制の一つで「合理化」と名付けています。
自分の欲求が満たされない時、理屈をつけて自己を正当化し不満を解消することです。
この童話は、なんとなく釈然としない思いを人の心に残します。
きつねの知恵の使い方が自分を正当化することに使われ、ブドウを取ることに使われなかったからなのではないでしょうか?
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ヨブ記第28章は知恵の賛歌とも称される章です。
今までのヨブの苦難の嘆きと友人たちの説得というパターンから、一転して知恵について語られています。
ヨブの苦しみの原因は、正しい者がなぜ苦しみを受けなければならないのか、その理由がわからない事でした。
しかし、たとえ苦しみの本当の理由が分からなくとも、解釈はいかようにでも出来ます。
つまり、人生の苦難に対する意味付けです。
そこに知恵の力が大きく働くのです。
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日本人にわかりやすくカウンセリングを広めた第一人者は、間違いなく國分康孝先生でしょう。
彼は大学で教鞭をとっていた時、左遷の憂き目に遭いました。
干されたのです。
その時、國分先生は左遷という事実をどうとらえ、どのように意味付けしたのでしょう?
彼は、
「面倒な会議に時間を取られることはない。自分の力の充実に当てよう。」
と考えたと言います。
この時期が國分先生の後の働きに大きな力となったのです。
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苦難の意味が分からなくとも、そこに自分で美しい色を塗ることができます。
それは後の人のための慰めとなるためなのかもしれません。
「わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。」
(第2コリント1:6)
自分を活かす意味付けの作業に大いに知恵を用いてまいりましょう。
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