今日のみ言葉【No.3691】(2025年 7月25日)「イエス・キリストと幼な子(1)」

イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。
(ルカ18:15)

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明治時代の日本人の平均寿命は、現在と比べて非常に短く、おおよそ40歳前後でした。

では50代以上の人はいなかったのかというと、そうではありません。

生まれてすぐに亡くなる乳幼児が非常に多かったせいで、統計上の平均寿命が大きく下がっていたのです。

もし150年前の日本でそのような状況だったとすれば、約2000年前の中東地域では、状況はそれ以上に厳しかったと考えられます。

その当時の子供たちが、イエス様のところに連れてこられたのです。

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親たちが

「イエスにさわっていただくために」
(ルカ18:15)

つまり、「我が子のために祈って下さい」として子を連れてきたのは、決して軽い気持ちからではありませんでした。

その当時の子供たちの命は短かったからです。

彼らは、評判のイエスという人物を一目見てみようという物見遊山のような感覚で来たのではありません。

子どもの命を守ってほしい、健康で生きられるように祈ってほしいという切なる願いを抱いて来ていたのです。

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ところが、

「弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた」
(ルカ18:15)

とあります。

その当時の考え方として、子どもは

「無力で、理解力も判断力も乏しく、何も生産できない存在」

と見なされ、価値のない者とされていました。

そのような「取るに足らない存在」のために、尊い師であるイエス様の貴重な時間を使ってよいのかと、弟子たちは考えたのでしょう。

弟子たちの心の中には、

「イエス様の注意を引くには、それにふさわしい価値が必要だ」

という思い込みがありました。

しかし、神の見方は人の見方とは異なります。

イエス様は幼な子たちをどうご覧になったのでしょうか。

以下、次回に続きます。

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たとえ

「自分には何の価値もない」

と感じていたとしても、イエス・キリストを通して私たちは神に近づくことができます。

その恵みに思いを馳せる今日として参りましょう。

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