今日のみ言葉【No.801】(2014年 4月 9日)
しかしなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう。これこそわたしの救となる。
(ヨブ記13:15-16)
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ヨブ記第13章で、ヨブは3人の友人を、
「あなたがたは偽りをもってうわべを繕う者、皆、無用の医師だ。」
(ヨブ記13:4)
と、批判どころか口汚く罵っているかのようです。
ヨブに言わせれば、彼らは神から賄賂を取って神に有利な証言をしている者と見えるのです。
しかしその横柄な態度も、20節以降では一転して神への直接の嘆願となります。
ヨブは傲慢と言うより、本当に真剣に神に求める人だったのです。
その求める姿勢は、時には荒々しく、時には息も絶え絶えの姿という両極端の姿を取ります。
今日の聖句の
「しかしなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう。これこそわたしの救となる。」
(ヨブ記13:15-16)
という思いが彼の根底に脈々と流れ、神に求めずにはおれないヨブの強さとなって表に現れているのです。
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翻って、私たちはヨブのように真剣に神に求めているでしょうか?
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」
(マタイ7:7)
という御言葉によって天の窓は開かれているのに、私たちはなかなか求めようとしません。
そうなのです、私たち人間は、追い詰められ、祈らされるようになって初めて真剣に神に訴えるようになるのです。
その時に、
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」
という聖書の言葉は、自動販売機のような非人格的神ではなく、愛の神としてやさしく私たちに迫ってきてくださるのです。
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教会のOさんはコンピューターのプログラマーでしたが、会社の方針でパソコン販売の新規開拓の辞令が下りました。
しかし彼は営業タイプの人ではありません。
1ヶ月後にもっと安くて高性能の新製品が出るという情報を知っていながら、在庫処分のために口八丁手八丁でセールスし、「後は買ったお客さんの責任だから…」という割り切り方が出来ません。
彼の悩みは、
「こちらの都合で売っていいんだろうか」
ということでした。
悩んだ末に、Oさんは神に求め祈りました。
「道を示して下さい」
そして行き着いた先は、
「そうだ、お客さんには本当のことを言おう。それでダメだったらしょうがないじゃないか。」
というところでした。そこに心を定めることが出来たのです。
「神様、そのように方針を定めましたので、あとはよろしくお願いいたします。」
それから彼は本当のことを言い始めました。たとえば、
「お客さん、これはメモリーを増やしても大して変わりませんから、うちでも他の所でも買う必要ありません。今のままで行けます。」
「10年もつか?もちません。5年使えれば御の字。3年で故障してもおかしくないです。」
という具合です。
自分のショップでオプションの部品をつければ売り上げが上がるのですが、お客様のムダになることは一切しません。だから全然儲からないわけです。
しかし本当のことは相手に通じるのです。
真実を話す人からはその真実がにじみ出て、必ず相手に「この人は嘘偽りを言っているのではない」ということが伝わります。
やがてお客様たちは分かってきました。特にその方面に詳しい企業の担当者や大学の研究者の人たちから、
「あなたの言うことは本当だね。」
「あなたのお陰であそこで余計なお金を使わなくてトクしたよ。」
という声が上がり、やがてこの方々が、
「Oさんとこへ行ってごらん。本当のことが聞けるから。」
と周りの人たちに言い始め、クチコミで広まっていきました。
しかも上級技術者・研究者という方々の言葉ですから、太鼓判が押されているようなものです。
それからは企業・法人・学校関係の注文が、ドドン、ドドンと入ってくるようになりました。
神に求め、祈っていく時、神は確かに恵みの場へと導いて下さるのです。
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あなたの真剣な求めに神は応じて下さいます。
小さな求めの第一歩を踏み出す一日として参りましょう。
それが明日の大きな一歩を踏み出す基となります。
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