今日のみ言葉【No.795】(2014年 4月 2日)
それゆえ、わたしはわが口をおさえず、わたしの霊のもだえによって語り、わたしの魂の苦しさによって嘆く。
(ヨブ記7:11)
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四苦八苦という言葉があります。
仏教の創始者お釈迦様が現実の苦しみを分析した結果の言葉です。
四苦とは「生老病死」(しょうろうびょうし)という人間の基本的4つの苦しみのこと。
これに人間関係の苦しみが4つ加わり、合計8つ。
これで四苦八苦と言います。
ヨブはまさに四苦八苦の状態に置かれていました。
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ヨブが主に味わっていたのは、病の苦しみ、それでも生きなければならない苦しみ、そして周囲の人に理解されない苦しみでした。
病そのものの痛み苦しみと共に、それゆえに夜眠れない苦しみ、治る見込みがない絶望を味わう苦しみ。
その中で彼は
「わが口をおさえず、わたしの霊のもだえによって語り、わたしの魂の苦しさによって嘆く。」
(ヨブ記7:11)
のです。
これが祈りの原型です。
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ヨブの場合は、叫びや愚痴、神に対する抗議と言ってもいいかもしれません。
しかし現実的に、私たち人間は苦しみの中にあってはじめて神に対する声が出てくるものです。
それは赤ちゃんが泣き声を上げるようなものです。
おしっこやうんちが出たおむつは気持ちが悪いので、赤ちゃんは泣き出します。
するとお母さんはすぐに気づいておむつを交換してくれます。
それだけではありません。
「これでスッキリしたね。もう大丈夫。」
とにっこり微笑んで愛情を注いでくれます。
こうやって赤ちゃんは、自分が不快な時に泣き声を上げれば助けが与えられ、愛情が与えられることを学習します。
人が声を上げること、神に向かって祈りを捧げるとはこのようなものです。
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「私の祈りなんか霊性の低い祈りで、むしろ愚痴や弱音を神様に向かって言ってるだけだな」
という祈りであって良いのです。
神は赤ちゃんである私たちが、まず声を上げることをお望みなのです。
その声が、やがて意味の通った言葉となっていくからです。
苦しみの時には、迷わず神に声を上げましょう。
それは祈りとして神に取り上げられ、神の最善の時に私たちが願う以上の形でかなえられていきます。
「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」
(ローマ8:26)
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