今日のみ言葉【No.3475】(2024年10月12日)「生活の処方箋(180)『人間に触れる』」
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕
(ヨハネ8:10-11)
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「不登校児、あるいは非行少年が来ています」
と告げられる時、
「その"非行少年"を連れてきて下さい」
と頼むことがあります。
すると、たけし君であったり、ひろし君であったりするので、
「この人は"ひろし君"であって、"非行少年"という人ではないでしょう」
と言うことにしています。
人間に触れて欲しいという願いを込めながら、物を見るのではなく、人間を見る目を養って欲しいからです。
医師として、また作家としても有名な渡辺淳一氏は、
「患者さんを見るときに、その人よりも"あの病気をした人"と病人であるその人を見ずに、病気を見てしまうことがある。だから、病気は治るかもしれないが、病人はなかなか治らない気がする」
と書いておられます。
もっと人間を見る目を、また人の心に寄り添うゆとりを取り戻しながら、毎日を過ごしたいものです。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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ヨハネ8章の姦淫の女の記事で、イエス様は女に対して、
「あなたを罰する者はなかったのか」
と尋ねられました。
女の答えは、
「主よ、だれもございません」
でした。
となれば、
「今後はこんなことをしてはいけないよ」
と教え諭して、帰らせるのが一般的なのではないでしょうか。
もちろん、イエス様は
「お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」
と言われましたが、それは2番目の事で、最初に言った言葉は、
「わたしもあなたを罰しない」
でした。
姦淫という罪を見るのではなく、その女の存在そのものを見ておられるのです。
彼女に対するイエス様の見方は、そのまま私たちに向けられる見方でもあります。
イエス様は私たちの罪を見て、それを赦される御方ですが、それ以前に、私たちそのものを見ておられます。
病気を見る前に、病人である私たちの人格そのものを見て、愛されるのです。
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私たちそのものを見ておられ、寄り添って下さるイエス様を意識しながら、今日の一日を歩んで参りましょう。
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