今日のみ言葉【No.3475】(2024年10月12日)「生活の処方箋(180)『人間に触れる』」

「キリストと姦淫の女」ロレンツォ・ロット(1480-1556)

そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕
(ヨハネ8:10-11)

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「不登校児、あるいは非行少年が来ています」

と告げられる時、

「その"非行少年"を連れてきて下さい」

と頼むことがあります。

すると、たけし君であったり、ひろし君であったりするので、

「この人は"ひろし君"であって、"非行少年"という人ではないでしょう」

と言うことにしています。

人間に触れて欲しいという願いを込めながら、物を見るのではなく、人間を見る目を養って欲しいからです。

医師として、また作家としても有名な渡辺淳一氏は、

「患者さんを見るときに、その人よりも"あの病気をした人"と病人であるその人を見ずに、病気を見てしまうことがある。だから、病気は治るかもしれないが、病人はなかなか治らない気がする」

と書いておられます。

もっと人間を見る目を、また人の心に寄り添うゆとりを取り戻しながら、毎日を過ごしたいものです。

(※田中信生の『生活の処方箋』より)

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ヨハネ8章の姦淫の女の記事で、イエス様は女に対して、

「あなたを罰する者はなかったのか」

と尋ねられました。

女の答えは、

「主よ、だれもございません」

でした。

となれば、

「今後はこんなことをしてはいけないよ」

と教え諭して、帰らせるのが一般的なのではないでしょうか。

もちろん、イエス様は

「お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」

と言われましたが、それは2番目の事で、最初に言った言葉は、

「わたしもあなたを罰しない」

でした。

姦淫という罪を見るのではなく、その女の存在そのものを見ておられるのです。

彼女に対するイエス様の見方は、そのまま私たちに向けられる見方でもあります。

イエス様は私たちの罪を見て、それを赦される御方ですが、それ以前に、私たちそのものを見ておられます。

病気を見る前に、病人である私たちの人格そのものを見て、愛されるのです。

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私たちそのものを見ておられ、寄り添って下さるイエス様を意識しながら、今日の一日を歩んで参りましょう。

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