今日のみ言葉【No.1672】(2017年12月21日)「 健全な人間関係」
そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
(使徒2:42)
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お店の入り口でロボットが出迎えてくれて、タッチパネルで操作して席が決まる回転寿司チェーンがあります。
DVDレンタル店では店員さんによる対面貸出処理からセルフレジに変わりました。
これは人付き合いが苦手で「コミュ障」を自覚する人にとっては天国のような居心地の良い環境です。
このような時代が行き着く先はどうなるのかはわかりませんが、聖書が明確に語るのは、人が福音に触れると周囲の人々に対する関心が増すことです。
自分の魂の問題が解決し、恵みに満たされると、人の必要が見えてくるのです。
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キリストの昇天後、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が注がれ、特にペテロは力にあふれて福音を説きました。
そのメッセージに人々の心は動かされます。
「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、『兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか』と言った」
(使徒2:37)
ペテロの答はこうでした。
「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」
(使徒2:38)
その日、仲間に加わった者は3千人であったと聖書は記しています。
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その後、彼らは何をしていたのかというと、
「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた」
(使徒2:42)
とあります。
まさに教会生活です。
そして
「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた」
(使徒2:44-45)
とあります。
これを私有財産の禁止とか平等主義という風に解釈してしまうと信仰の正しい理解から逸れてしまいます。
十字架による罪のゆるしは、アダムとエバ以来の死の問題を解決しました。
死後の永遠の行き先が天国であると確定すると、この世にしか向いていなかった目が、ふと上に上がるのです。
それは、義務や強制や教えられたからではなく、ふわりと半身が浮いて周りの状況が目に入るような感覚です。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」
(詩篇23:1)
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」
(マタイ6:33)
これらの御言葉によって自分の「パンの問題」が解決された者は、他者の必要に目が向き、それを満たそうと思います。
神はそのような人への祝福を惜しみません。
神はますますその人を人と人との交わりの中に押し出し、またその人も祝福の発信源として充実した働きをなし、周囲の人々もその存在を感謝するという人間関係の好循環が起きるのです。
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人間関係希薄化の時代、私たちがなすべきことは罪の赦しを確信することです。
そこから湧いてくる他者への思いが健全な人間関係を育てていきます。
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