今日のみ言葉【No.3462】(2024年 9月27日)「盛大な晩餐会のたとえ(1)」
列席者のひとりがこれを聞いてイエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。
(ルカ14:15)
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イエス様の食卓での教えはまだまだ続きます。
しかし、そこには一貫した流れがあります。
「こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある」
(ルカ13:30)
これを見抜いて読んでいくと、正しく意味がくみ取れます。
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食卓に招かれた客、そして招いた主人に対する教えの次は、列席者の一人に対してです。
「列席者のひとりがこれを聞いてイエスに『神の国で食事をする人は、さいわいです』と言った」
(ルカ14:15)
これだけを読むと、何のことはない普通の発言のように聞こえます。
しかし、この人は相当の自信家だったのです。
何の自信かというと、自分はパリサイ人で、律法を厳格に守っているという自信です。
ですから、自分こそは「神の国で食事をする人」の中に入っていると思っていたのです。
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自分を高くしているか、それとも低くしているか。
これが鍵です。
もしこの人が、自分を低くしていたのでしたら、彼の言葉はOKです。
たとえば、
「イエス様、神の国で食事ができる人はなんと幸いなことでしょうか。私なんか本当にあんな的外れの生活をしていたのに、神様の憐れみによって救われているのです」
という具合に自分を低くしているならば、
「神の国で食事をする人は、さいわいです」
という言葉は、まさしく神の御心に沿った言葉となります。
しかし、この列席者は、自分を高くする側にいました。
その様子を表現するなら、イエス様のそばに行って肩を組みながら、
「いや〜、神の国に入れるっていいねー。我々は入れるけれど、あいつらは入れないもんね」
と言っているようなイメージです。
彼はこの後、非常に厳しい言葉をイエス様から受けます。
「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」
(ルカ14:111)
からです。
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謙遜な生き方を目指す今日として参りましょう。
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