今日のみ言葉【No.3461】(2024年 9月26日)「ヤコブとパロ(3)」
ヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。
(創世記47:9)
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あなたは自分の人生を振り返ってみて、
「祝福に満ちた人生だった」
と言うでしょうか。
それとも、
「つらい人生だった」
と言うでしょうか。
ヤコブはどうだったでしょう?
彼はパロに対して後者の答えをしました。
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ヤコブはパロから「あなたの年はいくつか」と聞かれた時、
「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です」
(創世記47:9)
と答えました。
彼は人生を旅路だとしています。
自分はこの世では旅人であり、寄留者であるという意識の表れです。
ヤコブはこの時130歳でしたが、
「わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」
(創世記47:9)
と言っています。
確かに祖父アブラハムは175歳で(創世記25:7)、そして父イサクは180歳で(創世記35:28)その生涯を閉じましたから、
「わたしのよわいの日はわずかで」
(創世記47:9)
と言っていることは正しく、また、パロの前で謙遜な態度でいたとも考えられます。
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ところで、ヤコブはその後に続けて、自分の生きてきた人生を「ふしあわせで」あったと言っています。
口語訳聖書では
「わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで」
となっていますが、他の聖書訳ではこのようになっています。
「私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり」(新改訳)
「わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く」(新共同訳)
彼の人生を振り返れば、苦難の連続でした。
しかし、それは必ずしも不幸とは言えません。
問題や試練を通して得られる祝福があることは、クリスチャンのみならず、全人類共通の認識だからです。
そして、聖書を通してのみ知られることは、その苦難は神が許可されたから与えられているということです。
旧約聖書のヨブ記で、主なる神はサタンにヨブを苦しめることを許可されています。
「主はサタンに言われた、『見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ』」
(ヨブ記2:6)
新約聖書のゲツセマネの園での受難でもそうです。
イエス様を逮捕しに来た者たちに対して、
「だが、今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」
(ルカ22:53)
とイエス様はおっしゃり、サタンがその場を支配する時があることを認め、受け入れておられます。
大事なことは、サタンが支配すると言っても、それはあくまで神の許可の下でしかできないということです。
神は人間に試練を与え、時には悪さえも用いて、祝福を与えることのできる御方です。
私たちはそのことを学び、どんなに悪がはびこる世の中であっても、そこにはさらに上位の神の支配があることを覚え、耐え抜く力を得るのです。
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もう一つ、苦難には「期間」があることを知りましょう。
問題や試練の背後には神の目的があるので、それが達成されれば試練は終わります。
問題は限定された期間しか存在できないことを思い、今試練の中にある人は、あえぎながらも息を吹き返すことができます。
そして、最終的には神の祝福を得る人生を歩んでいるのです。
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苦難の中、神の御手を見る今日として参りましょう。
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