今日のみ言葉【No.3409】(2024年 7月18日)「ヨセフとの対面(1)」
ヨセフはベニヤミンが彼らと共にいるのを見て、家づかさに言った、「この人々を家に連れて行き、獣をほふって、したくするように。この人々は昼、わたしと一緒に食事をします」。
(創世記43:16)
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結婚式の招待を受けたり、法事のお知らせが届いたりすると、
「さて、いくら包んでいくか」
と頭を働かせます。
何も持たないで出席し、食事だけいただいてくるわけにはいかないからです。
さて、何も知らないヨセフの兄弟たちは、エジプトの総理大臣の家で昼食を一緒に食べるということになりました。
彼らの心境はどのようなものだったでしょう?
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ヨセフは、弟ベニヤミンが連れてこられたのを見て、兄弟全員が揃ったことを確認しました。
そして、家づかさにこう命じます。
「この人々を家に連れて行き、獣をほふって、したくするように。この人々は昼、わたしと一緒に食事をします」
(創世記43:16)
これは、ヨセフ側から見れば、神から与えられた夢をその通りに成就させるための段取りです。
ところが、兄たち側からすれば、自分たちが払ったはずの銀が戻されていたわけですから、窃盗の嫌疑をかけられてもおかしくないと思い、その疑いを晴らすためにやって来ているという面があります。
ですから、食事の招きをその通りに受け取ることができず、逮捕され、取り調べを受け、ついには罰を受けるのだと解釈しました。
「初めの時に袋に返してあったあの銀のゆえに、われわれを引き入れたのです。そしてわれわれを襲い、攻め、捕えて奴隷とし、われわれのろばをも奪うのです」
(創世記43:18)
人は罪責感にとらわれていると、このような悲観的結末を予想し、それが現実だと思い込みます。
また、人間は自分中心に物事を考えますから、自分の物差しと同じ物差しを使って人も判断するはずだと考えます。
したがって、その想像は、
「自分がしたように人もする」
となり、自分たちがヨセフを奴隷に売ったように、同じ事、つまり、自分たちも奴隷にされるという考えに行き着くのです。
一方では神の御心に従って、その御計画を粛々と進めるヨセフがいます。
片や、自分たちが犯した罪によって脅かされている兄たちがいます。
この両者の違いはどうやって埋められるのでしょうか?
神の解決はどのようなものなのでしょうか?
以下、次回に続きます。
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神の招きをありのまま、素直に受け取る今日として参りましょう。
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