今日のみ言葉【No.3129】(2023年 7月13日)「ベテルでの神との出会い(4)」
ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
(創世記28:16-17)
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人間の体にゆがみが生じると、体は自然にバランスを取るのだそうです。
右で固まったら左で引っ張り、左が固まったら右で引っ張り、という具合です。
ですから、ある整体の先生の話によると、痛みは斜めに出てくるそうです。
たとえば、右足首がずれていると、左足の膝に痛みが出て、そのアンバランスを戻そうとして右の股関節に、そして左の腰へと痛みが出てくるというわけです。
究極の解決方法は、正しい姿勢を保つことです。
やはり当たり前の基本の基本が正答なのです。
ヤコブの人生の基本の基本が定まったのが今日の箇所です。
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神との出会いを果たしたヤコブは、次の2つの反応を示します。
まず、神を知らない自分がいたことを改めて知りました。
「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」
(創世記28:16)
神は彼が生まれる前から存在し、両親からそのことを言い聞かせられていたにもかかわらず、なぜ「知らなかった」と言ったのでしょう。
それは、神の存在は漠然と認めていても、まだ知識としての神だったからです。
ヤコブは、自分の人生に直接関わりを持たれる神が実際におられることをここで初めて体験したのです。
そして2つ目は、神への恐れです。
「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」
(創世記28:17)
これは恐怖と言うより、自分以上の偉大な存在を前にした時に感ずる「畏怖(いふ)の念」です。
自分を遙かに上回る存在を前にすると、自分は矮小化され、自分という存在が消し去られてしまうように感じます。
天国と結びついた階段、そこを上り下りする御使たち、そして神である主ご自身の姿と言葉。
この栄光ある光景の前に、彼は恐れおののいたのです。
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もしヤコブがこの神との出会いなくして旅を続け、人生を生きるとしたらどのようになっていたでしょう?
それは神を知らない現代人の生き方を見れば容易に想像できます。
自分を祝福する存在がないので、自分の力で幸福を勝ち取らなければなりません。
自分で価値基準をこしらえ、自分の物差しで自分を良しとしていなければ不安でなりません。
また、自分以上の存在がなければ、人はいつしか傲慢になります。
知らず知らずのうちに上から目線で人を見下している自分になっていることにも気づかず、限界を越えても突っ走っているものです。
ヤコブは神と出会った後、生き方を変えます。
以下、次回に続きます。
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神を知り、神への恐れを持って今日を生きて参りましょう。
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