今日のみ言葉【No.3127】(2023年 7月11日)「パンを借りるたとえ話(1)」
そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
(ルカ11:5)
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イエス様は主の祈りを教えられた後、3つのお話をなさいました。
榊原康夫師はこの箇所について次のように書いておられます。
「求道や祈りの答えが与えられないように感ずるのには、三つの近因があります。第一に求める執念がない。第二に神の与え方を理解しないため気がつかない。第三に神への信頼がない。この三つに、順次、キリストは解答を与えて下さいます」
(『聖書講解 ルカの福音書』、榊原康夫著、いのちのことば社、P213)
では、最初のパンを借りるたとえ話から、「執念」について考えていきましょう。
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イエス様は
「そして彼らに言われた」
(ルカ11:5)
とありますから、このパンの話は主の祈りの話の継続として読まなければなりません。
イエス様ご自身が、主の祈りをさらに詳しく解説しようとなさっているということです。
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真夜中、友人があなたの所に来たとします。
そして、こう頼んできたとしたらあなたはどうなさいますか?
「友よ、パンを三つ貸してください」
(ルカ11:5)
自分も家族も寝ています。
煩わしいことこの上もありません。
「面倒をかけないでくれ」
(ルカ11:7)
と言うことは当然のことのように思えます。
しかし、友人がわざわざ夜中にやってきて、こんな無理な注文をするということは、それなりの理由があったと考えられます。
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彼はこう言っています。
「友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから」
(ルカ11:6)
パンを借りに来た理由は、その夜、彼の家に旅人がやって来たからだ、と言うのです。
当時のイスラエルでは、昼間の熱気を避けて、夜移動することが普通のこととしてありました。
ですから、夜の訪問客は普通にあったのです。
旅人をもてなすことは聖なる務めです。
ところが、貧しい人々はその日食べる分のパンしか焼きませんから、夜には何の食べ物を出すことも出来ません。
そこで彼は、
「あの人のところにならパンの余裕があるはずだ」
と考えて、
「友よ、パンを三つ貸してください」
(ルカ11:5)
と真夜中にもかかわらず、頼みに来た、ということなのです。
さて、もう一度あなたに問います。
「こう頼んできたとしたらあなたはどうなさいますか?」
理想論や模範解答を考えるのではなく、ご自分の答えを持って、次回のメールに備えて来て下さい。
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執念と言うほどの求める気持ちについて、自分の祈りを省みる一日として参りましょう。
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