今日のみ言葉【No.521】(2013年 3月 8日)
主はまたアロンに言われた、「あなたはイスラエルの人々の地のうちに、嗣業をもってはならない。また彼らのうちに、何の分をも持ってはならない。彼らのうちにあって、わたしがあなたの分であり、あなたの嗣業である。
(民数記18:20)
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私は父が亡くなってから3ヶ月の間、諸手続に追われました。
市役所で名義変更、税務署で確定申告、口座引き落とし変更のため銀行へ、等々。
中でも法務局で説明を受けた相続の手続きは一筋縄ではいきませんでした。
弁護士さん、行政書士さんに時間をとってもらい、相続について相談をしました。
経験豊かな弁護士の先生は、最後に一言、この言葉で締めくくって下さいました。
「兄弟仲良く。これが一番です。」
なるほど、とうなづける意味の深い言葉でした。
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イスラエルにも相続がありました。それは「嗣業(しぎょう)」と呼ばれています。
荒野の生活後、神が約束された地カナンで、十二部族それぞれに住む土地が割り当てられます。
但しこれは私たちが考える「自分の所有財産としての相続」とは異なります。
神からの使命が与えられているという意味で、「嗣業(しぎょう)」という語を使うのが適当なのでしょう。
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ところで、今日の聖句でレビ人は
「あなたはイスラエルの人々の地のうちに、嗣業をもってはならない。」
と言われています。
つまり、レビ人たちには割り当てられた土地がないのです。
しかし、それ以上の相続が与えられました。
「わたしがあなたの分であり、あなたの嗣業である。」
神ご自身が嗣業となって下さるというのです。
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神が嗣業とは、言い換えれば、
「神こそがあなたが必要とする全てである」
ということです。
難しいですね。私もよく分かりません(^^;;)。
しかし、レビ人の生活を見れば分かります。
彼らは神殿での祭儀の奉仕をすることが仕事でした。そのことによって食べる分を得ることが定められていました。
彼らは直接作物を育てたり、牧畜をしたりして食物を得たりすることはありませんでした。
しかし、
「わたしはイスラエルの人々が供え物として主にささげる十分の一を、レビびとに嗣業として与えた。」
(民数記18:24)
とあるように、レビ人が飢えて死ぬようなことはなかったのです。
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神に仕える人生では、神ご自身が嗣業となって下さり、養って下さいます。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
(マタイ6:33)
この御言葉を心に刻んで、今日も主に仕えて参りましょう。
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