今日のみ言葉【No.2970】(2022年12月10日)「イサク奉献(8)」
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
(創世記22:13)
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歴代のクリスチャンたちは、神様の導きを、
(1)御言葉によるうながし
(2)祈りによる平安
(3)信仰の友による助言
によって得てきました。
ここでのアブラハムは、
(4)状況による確認
によって神の導きを確信しています。
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イサクを燔祭としてささげよという神の命令に従ってやって来たアブラハムでしたが、御使からそれをやめよと言われました。
「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない」
(創世記22:12)
聖書では、
「この時アブラハムが目をあげて見ると」
(創世記22:13)
とあります。
我が子を捧げることに集中していたアブラハムでしたが、手を止められ、そこで周りの状況が見えてきたのです。
すると、
「うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた」
(創世記22:13)
のに気づきました。
彼はこの状況を、神がイサクの身代わりとして雄羊を備えてくださったのだと受け取りました。
そこで、
「アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた」
(創世記22:13)
という行動の選択をしました。
それは、燔祭もささげられ、イサクの命も保たれるという最善の結果となったのです。
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創世記では、
「それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお『主の山に備えあり』と言う」
(創世記22:14)
と記されています。
「人々は今日もなお」というのは、このイサク奉献の伝承が創世記という書物に編集された後代のことを言います。
イスラエルの信仰者たちは、アブラハムがイサクを捧げた時の話を代々伝え聞き、
「神の御心に従っていった先には、必ず主の備えがある」
ということを体験し、真実であることを、このような格言を通して残しているのです。
現代において神を信ずる我々も同じです。
主の山には備えがあります。
ですから、私たちが日常生活を送る中、いつでも神がそこにおられ、備えをして待っておられることを期待することが必要です。
一つのドアが閉じられると、別のドアが開けられるというのが私たちの信仰です。
神の導きがあると信じ、それを見出そうとする努力があるところで、閉ざされた状況の中にも開いたドアが見つけられるのです。
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私はロサンゼルスの生活でそれを体験しました。
神学校で学び、伝道をするために空港に降り立った私は、アメリカ人のご家庭でホームステイすることが決まっていたので、安心していました。
ところが、いざ行ってみると、ご家族は2日後にヨーロッパ旅行に行くことになっていました。
「我々が帰るまで冷蔵庫から何でも食べて良い。銃の保管場所も教えるから、いざという時は…」
と言われた時にはゾッとしました。
その時、空港の途中でたまたま立ち寄った日本人の方のオフィスに行ったことを思い出しました。
「あの方なら泊めてもらえるかもしれない」
と思い、いただいた名刺の電話番号にかけ、お願いしたところ、OKとのこと。
本当にホッとしました。
結局、その方のお家にずっと滞在することとなり、私はどんなに助かったかわかりません。
まさに、「主の山に備えあり」で、神様が作り出すドラマと真実さに乗せられた私は、海外での生活を御手の中で守られて送ったのでした。
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主の臨在があることを覚え、常に神がそばにいると信じる態勢で、信仰生活を送って参りましょう。
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