今日のみ言葉【No.2962】(2022年12月 1日)「イサク奉献(4)」
アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。
(創世記22:8)
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現代キリスト教世界に多大な影響を与えたヘンリ・ナウエンが、サーカスで空中ブランコ体験をした時の話です。
一番大事なことは、受け手につかんでもらう時だと教えられました。
それは、
「飛ぶ人は決して、つかまえてくれる人の手を自分からつかんではいけない。完全に信頼して待つ」
ということでした。
飛ぶ方が相手をつかもうとすると、手首を骨折する等の事故につながるからというのです。
ナウエンはこの体験から信仰の秘訣を学び、神に委ね、お任せるとはこういうことだ、と、大きな平安を得ました。
イサクが父アブラハムを完全に信頼していたことと同じです。
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「三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た」
(創世記22:4)
とありますから、アブラハム、イサク、二人の若者らは約100kmの道のりを歩いてきたことがわかります。
その間、アブラハムの決心が変わることはありませんでした。
そして、いよいよ父と子の二人だけになった時、イサクが尋ねます。
「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」
(創世記22:7)
「燔祭(はんさい)」とは「全焼のいけにえ」のことです。
いけにえの小羊を屠って殺し、それを祭壇で焼き尽くし、神への捧げ物とするのです。
父アブラハムは、子イサクをその小羊としようとしています。
しかし、イサクはそのことを全く知りません。
アブラハムはここでギリギリの自分の答えを出します。
「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」
(創世記22:8)
その後、
「こうしてふたりは一緒に行った」
(創世記22:8)
とあります。
イサクは父アブラハムを完全に信頼し、ゆだねていたのです。
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イサクは人生の早い時期に砕かれ、従順な人生を送りました。
自分が理解できない状況でも、
「父がそう言うなら大丈夫」
という信頼で彼は行動したのです。
ちょうどそれは空中ブランコで何もない空間に飛び出すようなものです。
後は自分が握ろうとしないで、受け手が握ってくれるのを当然のこととして信じ、手を伸ばすだけです。
ここに信仰の真髄があります。
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神に委ねる信仰を今日も磨いてまいりましょう。
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