今日のみ言葉【No.442】(2012年11月 7日)

わたしたちは、すでに神の子なのである。
(第1ヨハネ3:1)

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台湾のキリスト教病院で、心臓に障害を持って生まれた赤ちゃんの幼児洗礼に立ち会いました。

保育器の中にいる赤ちゃんには数本のチューブがつながれています。

厳重に殺菌された水を綿棒につけ、牧師が洗礼を授けました。

「命が短いのがわかっているから洗礼を授けるのですか?」

という私の質問に、病院スタッフがこう答えました。

「この赤ちゃんはアメリカの教会にいる里親に養子として引き取られ、今日中に飛行機でコロラドに向かいます。到着後すぐ心臓の手術を受け、それからはアメリカ人として過ごします。」

極貧の家庭で死を待つばかりだったこの赤ちゃんに、全く対照的な輝く未来が約束されていたのです。

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今日の聖句の、

「わたしたちは、すでに神の子なのである。」

とは、神に養子とされた私たちのことです。

先の赤ちゃんのように、放って置かれれば死を待つばかりだったこの身に、救いの手が差し伸べられ、全く違う人生へと導かれたのです。

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「神の子」となると、大きく2つのことがクローズアップされます。

1つは、親の財産が自分のものとなる、ということです。

父なる神の莫大な資産を子は受け継ぐのです。

ただ、あまりに大きすぎて分かりません。

それよりは自分で稼いだ時給何百円の方が現実味があり、ありがたみを感じます。

しかし、そのような自力で達成できる以上のものが与えらることに気づかなければなりません。

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もう一つは、子は親に似るということです。

親と共にいて、親と行動を共にする時、段々と親に影響され、似た者となっていきます。

今までの古い行動パターンは徐々に影を潜め、愛にあふれた行動を取る自分へと変えられていきます。

その変化のスピードには個人差がありますが、父なる神と離れずにいれば、必ず愛の人へと変えられていきます。

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神の子となっている恵みを堂々と味わう一日として参りましょう。