今日のみ言葉【No.396】(2012年 9月12日)

あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
(第1テサロニケ5:5)

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「九」という一文字で表される植物な〜んだ、というなぞなぞです。

キュウ?ク?

答はイチジクです。

一文字で九。一字で九。いちじ、で、く。いちじく…!

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イチジクは漢字で「無花果」と書きます。これは本当です。

花はあるのですが、実となる部分の中で咲くので、人の目にはふれません。

花が咲かないうちに実がなったように見えるので、「無花果」という漢字が当てられたのです。

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イエス様はこの無花果をたとえとして、世の終末のことを語られました。

「いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。」
(マタイ24:32)

誰でもその木に花が咲けば、やがて夏が来て実がなる、とわかります。

ところが、いちじくの場合は花が見えませんから、それだけでは季節の移り変わり、すなわち、時を見分けることが出来ません。

開花という華やかで目立つ部分ではなく、枝の柔らかさや葉の部分を注意深く観察している人だけが、

「夏が近い」

とわかるのです。

つまり、注意深くこの世(特にイスラエル)を観察し、不意に突然やってくる終わりの日のために備えなさい、ということなのです。

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今日の聖句の、

「あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。」

とは、社会的にも人間的にも立派で非の打ち所のない素晴らしい人…、ということではありません。

光の子、昼の子、とは、イエス・キリストの救いを信じ、やがてもう一度イエス様が来られ(「再臨」さいりん)、この世を裁かれる時にも救われる、と信じている人のことを言います。

夜の者、やみの者、とは悪人のことではなく、聖書も神も知らないので、時のしるしを見分けることが出来ず、この世の動きに翻弄されている人のことです。

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では、終わりの日はいつ来るのでしょうか?

それは誰にも分かりません。

わかるのは、

「主の日は盗人が夜くるように来る。」
(第1テサロニケ5:2)

ということです。

普段は戸締まりをしないのに、今晩は泥棒が来るから家に入られないように鍵をかけておこう、などということはできません。

私たちはいつ盗人が来ても大丈夫なように、毎日、夜は鍵をかけて寝ます。

それと同じように、いつも終わりの日を意識し、いつ再臨があっても

「大丈夫。私は滅びに会うのではなく、イエス様に会って救われる」

という生活をし、備えをなしていくのです。

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クリスチャンのきよい生活の基礎は再臨にあります。今日一日を大事に過ごされますように…。

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