今日のみ言葉(2012年 2月4日)【No.236】

2012年2月6日

「しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。」
(マタイ27:14)

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自分のしたことが正当に評価されないと感じた時に怒りが湧いてくるのは、自分に自信がないからです。

イエス様が沈黙されたのは、自信があったからです。

真理の上に立つ者にはこの自信が与えられるのです。

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沈黙の中にいるイエス様とは全く対照的な人間が総督ピラトです。

その当時のユダヤの実質上の権力者であり、有罪か無罪かを決定できる最高の権威を与えられていながら、彼は揺れ動きました。

「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。

「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」

「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」

「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」

民衆の声に翻弄される姿です。

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とうとう最後に、ピラトは

「水を取り、群衆の前で手を洗って」

とあります。これは、

「このことについて私には責任がない」

と自分の責任を放棄し、群衆に責任転嫁したことを意味します。

つまり、

「あとはどうなっても知らない。あなたたちのせいだよ」

という意思表示だったのです。

真理の上に立たない、力ない姿がここに見られます。

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迫害や侮辱、人々に軽くあしらわれる等のことをされながら、

「ひと言もお答えにならなかった」

イエス様には、真理の上に立つゆえの自信があったのです。

真理の上に立たない人間の行動とは、

「人から言われたからそうする」

というものです。

それでうまく行けば有頂天になり、うまく行かなければ言った相手を恨みます。

私たちが有頂天と落ち込み・恨みの激しいアップダウンを繰り返しているとすれば、それは総督ピラトと同じように真理から外れていることを覚えましょう。

解決の道は、動かされることのないキリストに連なることです。

「わたしは道であり、真理であり、命である」
(ヨハネ14:6)

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イエス様とつながる一日として参りましょう。

マタイ,御言葉

Posted by maruyama