今日のみ言葉【No.2530】(2021年 5月 8日)「種を蒔く人生」
朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。
(伝道の書11:6)
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小学生の夏休みの課題にアサガオ日記があります。
なぜ朝顔が選ばれるのかと言うと、種の発芽率が95%以上で、まず間違いなく芽を出すからです。
他の植物でも同じようにうまく行くかというとそうでもありません。
袋にはっきりと「発芽率○○%」と表示されてある種もありますし、1年以上経った種では50%以下になることもあります。
種が本当に芽を出すかどうかは、蒔いてみないとわからないというのが本当のところです。
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そこで今日の聖句です。
「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである」
(伝道の書11:6)
これは経験的事実から得た、人生を前向きに生きる教訓のように思えます。
しかし、この聖句が第11章に出てくることがポイントなのです。
伝道の書を読めばわかるように、著者はそれまでの10章を費やして、ただひたすら人生は空しいと説いています。
「わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである」
(伝道の書1:14)
何をやっても無駄だった、という人生の空しさを味わい極めた人なら、
「人生、あきらめが肝心」
と、何もかもあきらめて、ただ流されるままに生きる、努力無用論を唱えそうです。
しかし、彼は、
「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない」
(伝道の書11:6)
と、空しさの極みを体験した人の結論として、むしろ働くことを勧めています。
これは「あなたの人生を神にゆだねよ」ということです。
つまり、
(1)「先のことはわからない → だから何もやらない」
(2)「先のことはわからない → だから何かやってみる」
という2つの選択のうち、(2)を選びなさいということです。
それが、繰り返し空しさを味わう人生の中で、実を結ぶ生き方であり、神にゆだねた信仰の人生なのだと伝道の書の著者は説くのです。
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さて、(2)のルートを選ぶと、それは決して安全な道ではなく、傷つくことが保証されている道です。
何度やっても発芽せず、その都度、自分の努力が水の泡になり、またイチから出直しのパターンの繰り返しを味わわされるからです。
しかし、自分が選んでやっていることなのだという充実感が伴います。
(1)のルートは平穏無事で何も起きません。
ただし、それは逃げられる間だけです。
どこかで必ず追い詰められ、向き合わざるを得なくなります。
そこで(2)のルートに乗り換えるのには大変な思いをしますが、あなたをじっと見つめておられる神様との出会いがあります。
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今日も一粒の種を蒔く人生を生きて参りましょう。
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