今日のみ言葉(2012年 4月16日)【No.286】

イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
(ヨハネ9:3)

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この当時、人が病気になるのは罪が原因と考えられていました。

ですから、生まれながらの盲人を見た時、弟子たちは全くの他人事として

「だれが罪を犯したためですか」

とイエス様に尋ねたのです。

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あなたは何か悪いことが起きた時、原因を求めなければ気がすまない方ですか?

自分のせいか、誰かのせいか、状況のせいか…。

その事で物事が改善されるのなら素晴らしいことです。

しかし、「誰のせいか」と追求すればする程、自分も周りも不幸にすることがあります。

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イエス様の答は、

「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」

というものでした。

病気や身体的障がいは人生にとってプラスかマイナスか、という議論には乗られませんでした。

その事を通して神の素晴らしさが現れるのだ、という画期的返答だったのです。

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病が癒されることで神の栄光を現す人もいらっしゃいます。

病気や障がいはそのままであっても、神の栄光を現す方もいらっしゃいます。

若いからできる、年を取ったからダメだ、というのではないのです。

罪を犯していないからよい、罪を犯したから何も出来ない、というのではありません。

今この自分を神様に差し出す時、神は私たちを通してその素晴らしさを現して下さるのです。

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水野源三さんは「瞬きの詩人」と呼ばれました。

子供の時に赤痢にかかり、その高熱で重度の脳性麻痺となりました。

動かせるのは首から上だけ。話すことも書くことも自由に走り回ることも出来ない人生を送らねばならなくなったのです。

お母さんは51音を書いた文字板を指で示し、源三さんが言いたいことの文字を探り当て、一文字ずつ拾い上げていくという方法を見出しました。

「ありがとう」なら、「あ」でパチッと瞬きをし、次に「あ・か・さ・た・な…」とお母さんが読み上げ、「ら」で瞬き。「ら・り」の所でまたパチッと瞬き、という具合です。

水野源三さんのことを伝え聞いた牧師の伝道で彼はクリスチャンとなり、47年の生涯を閉じるまで、神の愛をうたう詩人として神の栄光を現す生き方をしたのです。

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彼の詩の一つを紹介いたします。

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『有難う』

 物が言えない私は

 有難うのかわりにほほえむ

 朝から何回もほほえむ

 苦しいときも 悲しいときも

 心から ほほえむ

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今日もあなたを通して神様はその素晴らしさを現そうとされています。

ありのままの自分を神様に明け渡す一日として参りましょう。

神はあなたを用いて下さいます。