今日のみ言葉【No.2368】(2020年10月 1日)「キリスト教イロハ(100)『主の祈り(16)』」

われわれの先祖イスラエルの神、主よ、あなたはとこしえにほむべきかたです。主よ、大いなることと、力と、栄光と、勝利と、威光とはあなたのものです。天にあるもの、地にあるものも皆あなたのものです。主よ、国もまたあなたのものです。あなたは万有のかしらとして、あがめられます。
(歴代志上29:10-11)

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現代は、アメリカの大統領が「アメリカ・ファースト」と叫び、中国の国家主席が「核心利益」は譲れないと言ってはばからない時代です。

国と国を越えた「国際益」の考えが大きく後退し、自国の利益を第一とする流れに傾いているのです。

「国益」という曖昧な概念が最優先されるこの世界に対して、神は主の祈りの中でどう教えておられるのでしょうか?

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主の祈りの最後に祈られる頌栄(しょうえい)

「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」

は、福音書の中には記されていません。

これは紀元2世紀のシリアの教会で、会衆の祈りに対し、司祭が頌栄を祈り、最後に全員で「アーメン(まことに、確かに)」と唱えたことが初めだと言われています。

その土台となる御言葉が今日の聖句で、国と力と栄えとは、本来は神によって造られ、神のものであるというダビデの祈りが起源となっています。

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国とは国家のことです。

世界に現在存在する小国であれ大国であれ、みな神によって創造された国土の上に立っています。

そこで国家権力が行使され、個人の場合、親なら子供に親の権威を振るいます。

また、栄誉も人からでなく、本来は神から与えられるのが正当なことです。

人は立場や状況が変わればなんとでも言うからです。

この「国と力と栄え」が人間の欲しいままに使われているので、現世の混乱があるのです。

国家は自分の国の利益のためにあるのではなく、神と人のためにあるのだと教えているのが主の祈りの最後の頌栄です。

また、力も栄えも自分のために与えられているのではなく、神と人に仕えるために与えられているのだと考えを方向転換する必要があるのだよ、という神の迫りを感じさせられるところでもあります。

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頌栄の後半は

「限りなく汝のものなればなり」

となっています。

国家も権力も栄誉も、「限りなく」(永遠に)、「汝のもの」(神の所有)であると告白し、それが地上において実現するように祈るのが主の祈りなのです。

この讃美があるところに「国と力と栄え」が与えられ、それを自分のものではなく神から預かったものとする時、「国と力と栄え」は本当の意味で神と人間とのために用いられるようになるのです。

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主の祈りを通して、神のことと人のことを祈り、すべては神のものという意識を新たにし、平安の中で信仰の歩みを続けて参りましょう。

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