今日のみ言葉【No.946】(2014年12月 2日)
主はわたしに耳を傾けられたので、わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。
(詩篇116:2)
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今日は榎本保郎牧師の『旧約聖書一日一章』にある秀逸な例えと解説を以下にご紹介いたします。
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祈りとは、これについてブルンナーはその著書『われらの信仰』に一つのたとえ話を書いている。
山から巨大な石がころがってくるのを見て、その石が自分の方に来ないようにと神に助けを求めるようなことがよくあるが、それは祈りではない。
そうではなくて、森の中でまい子になって泣いていた子供が、どこからか自分の名を呼ぶ父の声に気がつき「お父さん、ぼく、ここだよう」と言う、それが祈りであると。
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もし祈りに喜びどころか、むしろ重苦しさを感じるならば、それは神の呼びかけを現実に聞いていないからではなかろうか。
「あなたがたに必要なものを天の父はあなたがたに先立って知りたもう」と主イエスは言われたが、その神に向かって祈るのだとボンフェッファーは語っている。
神はただ絶対者であられるだけではない。
私たちに必要なものを私に先立って知りたもうだけでなく、ひとり子をもこの世に送り、十字架につけ、私たちの罪のいっさいをゆるしてくださったのである。
この愛の呼びかけ、神のみ愛にこたえていくところに私たちの本当の祈りがある。
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どんなに暗いさびしい森の中に迷い込んでも、さがしに来てくれる親があるかぎり子供は恐れることはない。
「お父さん」と叫べばよいのである。
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以上です。
「主はわたしに耳を傾けられたので、わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。」
(詩篇116:2)
の御言葉に支えられて、今日も神の御声を聞きながら、祈りの一歩を進めて参りましょう。
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