今日のみ言葉【No.2361】(2020年 9月18日)「ユダの裏切り(5)」

イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。
(マタイ26:25)

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映画界の巨匠、黒澤明監督はタレントの所ジョージさんが大のお気に入りで、撮影の休憩中に彼をそばに呼び、

「いいかい、所くん、冬のシーンは夏に、夏のシーンは冬に撮るんだよ」

と頼みもしないのに教えてくれたそうです。

所さんが「なんでですか?」と問うと、監督はこう言いました。

「冬には夏を、夏には冬をスタッフが一生懸命表現しようとする。そうじゃないとお客さんに伝わらない」

名言です。

闇の中だからこそ光の存在が一層意識されます。

最愛の人から裏切られるという真っ暗闇の現実がすぐそこに来ているのに、なおもそのユダを愛するからこそイエス様の愛は輝きを発するのです。

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それにしても今日の聖句は

「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』」
(マタイ26:25)

となっていますから、犯人であるユダを他の弟子たちの面前で明確に指摘しているように見えます。

ある聖書箇所を読んでもピンとこない時は、他の訳の聖書を開いて、どういう表現になっているか調べるのは、聖書解釈の方法としては大変有効です。

口語訳聖書では「いや、あなただ」。

新改訳聖書では「いや、そうだ」。

新共同訳聖書では「それはあなたの言ったことだ」。

さらに説教者なら、ギリシャ語原典を当たってみます。

すると、「いや、あなただ」は、「スー エイパス」で、直訳すると「あなたは言った」となりますから、新共同訳聖書の「それはあなたの言ったことだ」が原語の意を最も正確に表した訳になります。

これを現代的言い回しにするなら、

「まさか、わたしではないでしょう」 → 「ほら、そう言った」

「まさか、わたしではないでしょう」 → 「言ってるじゃない」

「まさか、わたしではないでしょう」 → 「今、あなた、そう言ったよね」

という感覚なのです。

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イエス様は他の弟子には気づかれず、ただユダだけにわかる言葉をお選びになり、彼に伝えました。

それは彼の悔い改めを待つためです。

愛するがゆえに、自由な意志での選択を尊重されたのです。

キリストの愛は操作しない愛です。

その人が自分の意志で、自由に、正しく神の御心を選択できるように、一切の妨げをされない愛なのです。

ですから、ユダのことを指差して、

「あなたが裏切り者だ。今ここで悔い改めないと大変なことになるよ!」

と、ギューッと強制的に行動を変えようとはなさいません。

イエス様のなさったことは、

「さあ、どうする。あなたの自由だよ」

と、彼に任せ、そのままにしておかれたのです。

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さて、そのままにしておかれるということは、放っておかれるということなのではないでしょうか?

何の関わりもしないなら、それこそ愛とは程遠いものではないでしょうか。

その件については次回触れることにいたします。

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そのままにしておいてくださるキリストの愛を、深く思いめぐらす今日として参りましょう。

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