今日のみ言葉【No.2329】(2020年 8月 1日)「賞を得るように走る」

2004年アテネ五輪金メダリストの野口みずきさん(https://athlete-fan.com/women/3055.html)

あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
(第1コリント9:24)

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私は、太川陽介・蛭子能収の名コンビの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」をよく見ます。

この番組は目的地に着けずに失敗した回も堂々と放映するため、本当に着けるのかハラハラドキドキしながら見ています。

その中を、あきらめずに可能性を探し、最後までチャレンジする姿勢が私は大好きなのです。

パウロはクリスチャンの人生を古代オリンピックの競技者にたとえています。

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パウロはコリントのクリスチャンたちに対して、

「賞を得るように走りなさい」
(第1コリント9:24)

と奨励しています。

1等になれるかどうかわからないが、スタートラインに着いて、「よーい、ドン!」で走り始めなさい、と言うのです。

ここで「あなたがたは知らないのか」と言われているのは古代オリンピック競技のことです。

現代のように金・銀・銅のメダルで3位まで表彰するということはなく、勝利者は1等の人だけでした。

しかも、与えられるのオリーブや月桂樹の葉でできた冠で、この「朽ちる冠」のために競技者は過酷な節制をして競技に参加しました。

労多くして功少なく、負ける可能性のほうが圧倒的に大きいレースに出ることに何の意味があるのでしょうか?

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まず一つは、競技に参加するだけで勝利者であるということです。

誰も確実に勝つという保証を得ずしてスタートラインにつきます。

つまり、スタートしない人は決して勝利者にはなれないということです。

聖書は「必ず賞を得なさい」と言っているのではなく、「賞を得るように走りなさい」と言っています。

失敗の可能性を覚悟し、それでも賞を得ようとして走り、挑戦しようとしているなら、あなたはすでにその時点で失敗の恐怖に打ち勝った勝利者なのです。

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ふたつ目は、負けることもありとチャレンジし、何度も失敗をする人は敗北者などではなく、神様から「朽ちない冠」を与えられるということです。

ここでの「朽ちない冠」とは究極的には天国での祝福であり、永遠の命です。

そこに行き着く前のこの世での人生でも、神は朽ちない冠の一部を与えてくださいます。

そのひとつは「寛容」です。

実際に失敗し、再びチャレンジする人生をする人は、自分をゆるし、いたわりながら人生を送ります。

「今回は残念だったけど、またひとつ勉強できた」

「次はもっと良く出来るさ。大丈夫だよ」

そう自分自身に言い聞かせ、自分を励まし、自分をゆるしながら生きていくと、その自分に対する評価の物差しで他者をも測るようになってきます。

すると、人の失敗に関してもゆるせるようになるのです。

「ああ、私と同じだ。頑張ってるな」

と、寛容になろうと意識せずとも、いつの間にか他者の失敗を受け入れ、ゆるせるようになっているのです。

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賞を得るように走り、神からの冠を得る今日として参りましょう。

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Posted by maruyama