今日のみ言葉(2011年6月23日)【No.95】
「イエスはこれを聞いて言われた、『丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人であ
る。』」
(マタイ9:12)
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今日の聖句は至極当たり前のことを言っています。体が丈夫な人は医者に行く必要があり
ません。病気の人だけが行きます。
この医者とはイエス・キリストであることは明白です。従って、丈夫な人とは罪のない正
しい人(義人)で、病気の人とは罪人のことを意味しています。
聖書は「すべての人は罪を犯した」(ローマ3:23)と宣言しています。人間は全て罪人、
つまり今日の聖句で言う「病気の人」なのです。
ではなぜ人々は医者であるイエス・キリストのもとに行こうとはしないのでしょうか?
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それは自覚症状がないからです。
痛みや違和感があれば、「これはおかしい…」と思って医者に診てもらいに行きます。
しかし、自分では何も悪いところを感じないのであれば病院へは行きません。
また、数値的にはメタボであっても、周囲の人がみんな太った体型であれば何も変には思
わないことでしょう。
つまり、周りの人間と比較して同じであれば、「自分はおかしくない。大丈夫だ」と思う
わけです。
このようなからくりで、人間は罪責感を持たなかったり、薄めて感じないようにしたりし
ています。
ですから、自分の至らなさや力不足を感じたり、どうしても恨みつらみが消えないことは、
逆に医者であるイエス・キリストへまっすぐに連れて行く最短ルートをとれるということ
です。
十字架で人間の罪を完全に処置した霊の医師のもとで赦され癒され、
「ありのままの姿でOKですよ」
というスタートラインから人生を歩み直すことができるチャンスが私たちには与えられて
います。
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教会音楽家として活躍中の久米小百合さんは、かつて久保田早紀の名で大ヒット曲「異邦
人」を歌い、テレビ・ラジオを賑わせました。
曲のヒットと共に忙しくなった当時の様子を、
「土台のない所に突然10階建てくらいのビルが建ってしまったような、行き先の分からな
い暴走列車に乗ってしまったような感じがしていました。」
と語っておられます。
自分を見失いそうになった時、彼女は自分の音楽のルーツを探ろうとします。そこで発見
したのが、子供のころ日曜学校で歌っていた賛美歌でした。
小学校以来離れていた教会にもう一度行き始め、洗礼を受けられます。古い自分に死んで
新しくよみがえられたのです。
そして今は、「かつて大ヒットを放った一発屋」という否定的イメージで自分を捉えるの
ではなく、神様に捧げるラブソングを歌う教会音楽家として活動し、その傍ら、日本聖書
協会親善大使やゴスペル音楽院講師を務めておられます。
久米さんは現在の心境をこのように語ります。
「どんなに小さなことにも意味があるということが分かりました。神様は人を生かしてく
ださっているので、いやなことや苦しいことにも意味があり、痛みが後から喜びに変わっ
たり、つらいことも後から考えるとすごく人生勉強になっていたりすることがたくさんあ
って、感謝できないことが一つもなくなりました。 」
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ありのままの姿で生きて良いという恵みに心をとめましょう。
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