今日のみ言葉【No.729】(2013年12月27日)
王は民の言うことを聞きいれなかった。
(歴代志下10:15)
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ソロモン王の死後、その子レハベアムが王となりました。
ソロモン王時代の重税と強制労働に苦しんだ民は、王が変わったので、政策の変更を願い出ました。
レハベアムは経験豊富な長老たちと、自分と同年代の若者たちと、両者にアドバイスを求めました。
長老たちは融和策を、若者たちは強硬策を提示しました。
ここで決断を下すのがリーダーの仕事です。
レハベアムは
「長老たちの勧めをすて、若者たちの勧めに従い」
(歴代志下10:13-14)
とあるように、父王以上の重税と強制労働を命じる方を選びました。
絶望した民はヤラベアムを立て、北イスラエル王国を樹立します。
ダビデによって統一された王国は、預言の通り、分裂していきました。
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もしレハベアムに、祖父ダビデのような
「主の前に座して」
(サムエル記下7:18)
という時があったなら、事態はもっと別の方向に進んでいたかも知れません。
しかし彼には祖父ダビデのような信仰も、神に対する謙遜な思いもありませんでした。
自力で出さざるを得なかった結論によって、もはや彼の力では収拾できない状態にさせてしまったのです。
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私たちも生きていく過程で重大な決断を下さなければならない時があります。
人知の及ぶ限りの議論と検討を重ね、最終決定をする前に、
「主の前に座して」
祈る時を持ち、身を低くして神の御心を探る時が必要なのです。
私たちには幸いに御言葉である聖書が与えられています。
普段から聖書を読む習慣から神の言葉が心に蓄えられ、いざというときに神の御心が御言葉によって示されるのです。
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先日、洗礼式の準備をしていた時、ふと、
「この人は生まれる前から神に選び分かたれていたのだ」
という強い思いが私の心をとらえました。
聖書にそう書かれてありますから、洗礼を受ける人なら誰にでも当てはまることなのです。
「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、」
(エペソ1:4)
しかしこの思いは私の心をとらえて離れませんでした。
実際に洗礼式でそのことを心にとめ、祈ったところ、多くの方々から「慰めと平安をいただいた」という反応をいただきました。
このような信仰の「センス」は、御言葉に触れる中、祈りの中でいつしか自分でも意識しない間に養われていきます。
そしてある時、ピョコンと表面に飛び出してくるのです。
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決断の前に、主の前に座して祈る時を持って参りましょう。
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