今日のみ言葉(2011年12月26日)【No.204】
「主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。」
(エゼキエル37:1)
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紀元前597年、エゼキエルは多くのイスラエルの民と共にバビロンに補囚されて行きました。
神への不従順のゆえに、彼らは与えられた約束の地から追い出されたのです。
しかしその同じ神の手がエゼキエルの上に臨み、彼はその行った先のバビロンで預言者として活動しました。
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今日の聖句でエゼキエルが見た幻とは、無惨な枯れた骨の山でした。
骨となって何の希望もない状態、これがイスラエルだ、と神は示されます。
しかし、この骨を生かし、イスラエルを国として復興させる、と神はエゼキエルに語ったのです。
神の言葉はその通りの事実となります。
紀元前539年、ペルシャ王クロスの勅令により、彼らはイスラエルの地に帰還するのです。
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私たちの人生にも、神の御手が臨みます。
何の希望のかけらも見えない時…、
もはや手遅れだと気づかされた時…、
自分の犯した過ちに気づいた時…、
あなたの人生に積極的に介入し、あなたを導こうとする主の御手があるのです。
それが思いがけない苦難や試練と共に来たとしても、主の御手の中にはあなたへの愛が秘められています。
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坂本龍馬を斬った男として記録に残されているのは、京都見回り組隊員・今井信郎(いまいのぶお)です。他の隊員とは違い、彼だけが「龍馬殺害に関わった」と自白したことが西郷隆盛の目にとまり、西郷からの助命嘆願で命が救われます。
今井の第二の人生は、静岡県初倉村での開墾事業から始まりました。しかし、人間の元の性質はそう簡単に変わるものではありません。根っからの正義漢で、キリスト教反対の彼は、ある時、仕事で出かけた横浜の海岸教会に立ち寄りました。
神の御手が臨んだのはこの時でした。説教にひどく感激し、その教義が誠に正理正道であると感じたのです。今井と親交深かった津田仙はこう証言しています。
「ハテナ、是れは耶蘇教の説教と見へる、一ツ参考に聴いて見て、攻撃の材料を仕入れて行かうと考へて、中に這入って、説教を聴いたところ、即座にひどく感激してしまった。多分、此の時の説教者は稲垣君であったろうと思ふが、其教義が、今まで考へて居たところと雲泥の相違で、誠に正理正道であると感じたのである。ソコデ、是れは大変な事である。今迄邪教と思ふて迫害したのは、我ながら不覚であったと、慚愧骨に徹して、静岡に帰るや否や、其地の伝道師を訪問して、其実を告げ、熱心に道を研究して、終に善良な信者となったのである。」(巌本善治編,『海舟座談 付録その一 第七話』,岩波文庫)
今井信郎は後にクリスチャンとなり、かつて全身にみなぎっていた殺気は消え、温和な人へと変えられていきました。彼は初倉村の村長となり、人々から尊敬され、その生涯を閉じたそうです。
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神の愛の御手を確かめる時を持って参りましょう。
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