今日のみ言葉【No.1906】(2018年12月18日)「 十二弟子の帰還(2)」
イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。
(マルコ6:34)
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羊は近眼なので遠くが見えず、それで群れを作るのだそうです。
また、鋭い牙や爪を持たない弱い動物です。
さらに、太ると危ないのだそうです。転ぶと自分では起き上がれないからです。
非常に人間と似ています!
イエス様は群衆を飼う者のない羊として見られました。
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イエス様と十二弟子は寂しい場所へ退き、休みを取ろうとしました。
ところが、思わぬ出来事が待っていました。
「多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた」
(マルコ6:33)
人々は先回りしてイエス様一行が来るのを待っていたのです。
これは何を意味するのでしょう?
彼らはもっともっとと欲しがる強欲な人たちだったのでしょうか?
いいえ違います。
イエス様は群衆を「飼う者のない羊」と見られたのです。
「イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた」
(マルコ6:34)
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旧約聖書には、「飼う者のない羊」に関連していくつかの聖句があります。
「彼らは牧者がないために散り、野のもろもろの獣のえじきになる。わが羊は散らされている。彼らはもろもろの山と、もろもろの高き丘にさまよい、わが羊は地の全面に散らされているが、これを捜す者もなく、尋ねる者もない」
(エゼキエル34:5-6)
イエス様はこの箇所を思い起こされたのでしょう。
そして次の箇所のように「飼う者のない羊」たちをお取り扱いされたのです。
「わたしはイスラエルが皆、牧者のない羊のように、山に散っているのを見ました。すると主は『これらの者は飼主がいない。彼らをそれぞれ安らかに、その家に帰らせよ』と言われました」
(列王紀上22:17)
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人がなぜ「飼う者のない羊」にたとえられるかというと、人生には基本的な3つの問題があるからです。
まず、人は皆生命の危機にさらされています。
こんなに医学が発達した時代になっても、いつ病気になるかわかりませんし、交通事故で突然命を失うかもしれません。
東京の地下鉄サリン事件やアメリカの9.11事件以来、無差別テロの恐怖があります。
次に、私たちの肉体的弱さや精神的弱さがあります。
すぐに疲れ、老化が進み、またちょっとした人の言葉で心がしおれます。
そして3つ目に罪の意識があります。
誰もが処理されていない過去の古傷を持っています。
それが足かせとなり、チャンスがあってもそれに飛びつけない自分がいます。
無意識に自分を罰しているのです。
これら人生の基本的問題の解決策を知らず、その答を求める方法も知らないまま毎日を過ごしているのが「飼う者のない羊」なのです。
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では、どうしたらいいのでしょう?
今以上に頑張ればいいのでしょうか。
それとも、一切をあきらめ、なるようにしかならないと流れに身を任せ、達観していればいいのでしょうか。
答は、イエスの眼差しに気づくことです。
「イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり」
(マルコ6:34)
私たちがイエス・キリストを知る以前から、イエス様の方では私たちをずっと見ておられるのです。
それは
「この人は何をやっているのだ。何度も同じ過ちをしでかして、何度反省しても変わらない」
という批判の目ではありません。
イエス・キリストの眼差しは、
「飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで」
(マルコ6:34)
というあわれみの目です。
飼う者のない羊のような私たちの有様を、イエス様は深いあわれみの目でじっと見ておられるのです。
「私は自分以上の偉大な御方から愛の眼差しで見られている」
そう思い、私の味方となってくださる方がおられるのだ、と自分の思いを新たな方向へセッティングすることが、人間である我々が出来る唯一の事です。
そうすれば、イエス様が次の5千人の給食の奇跡を起こされたように、私たちの人生にもイエス・キリストは介入され、行動を始められるのを見ることでしょう。
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深いあわれみの目で見られていることを改めて意識する今日として参りましょう。
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