今日のみ言葉【No.1360】(2016年 8月29日) 026 「イエスの郷里ナザレの人々」(3)

彼らの不信仰を驚き怪しまれた。
(マルコ6:6)

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中学校の数学で正式に「正の数、負の数」を習います。プラスとマイナスのことです。

先生は、

「2メートル後退した」

「マイナス2メートル進んだ」

と、妙な言い方を教えます。

信仰にもプラスの信仰とマイナスの信仰があります。

前者は普通私たちが言う「信仰」で、後者は「不信仰」と表現されています。

どちらも、それが強ければ強いほどその方向に進んでいきます。

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結局イエス様は、ナザレで何一つ力ある業を行うことができませんでした。

神の働きを止めてしまうほどの強い不信仰がそこにあったからです。

イエスという方を

「神の力を持った救い主」

と信じて見ることをプラスの方向の信仰とするならば、彼らが意識もしないほどに堅く持っていたのはマイナス方向の信仰です。

すなわち、

「大工の息子、ただの人間」

あるいはもっと否定的に

「我々よりも下の人間」

という思いが既に入っていたのです。

イエス・キリストとの出会いを妨げているものは、先入観や間違ったイメージです。

古いものが入っていて満杯のところには、新しいものが入る余地はありません。

ですから、キリストとの出会いには、一度、「イエス・キリスト」という言葉に対して自分が持っているイメージや考えを全て捨てて、真っ白な心でのぞむことが必要です。

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さて、現代の私たちに聖書が語りかけるメッセージは、

「あなたは神の子イエスが十字架で命を捧げるほど価値ある存在です」

というものです。

これが素直にスッと受け入れられないということは、あなたの心の中は別のもので満杯であり、そちらの方を堅く信じているということです。

つまり、

「自分はダメな人間。愛されるはずがない」

という、神が差し出すのとは反対方向のマイナスの信仰を持っていらっしゃるのです。

「まさか!」と否定したくなりますが、そのように思っている人ほど、自分に自信をつけることに一生懸命です。

セミナーで学んだり、資格を取得することは有意義なことで、何の悪いこともありません。

しかし、数多くの資格や技量を身につけても自信を得られず、かえって本当の自分がいつ人に知られるかとビクビクしているとするなら、それはあなたの心の中にマイナス方向に引っ張る考え方があるという証明です。

「彼らの不信仰を驚き怪しまれた」
(マルコ6:6)

というイエス様の嘆きは、ともすると私たちにも投げかけられる可能性があります。

今日がその転換点です。

マイナス方向にグングン進んで引っ張られていたということは、向きを変えれば、プラスの方向にグングン進んでいく力を持っているということです。

否定的思いにとらわれていた人ほど、その思いを捨てて神の愛を取り入れた時から、肯定的思いがどんどん積み重なり、ついには溢れ出て、今までの人の足を引っ張っていた過去とは正反対の、他者を慰め励ます人へと変わっていくのです。

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幼な子のような素直な心で、イエス様の愛を受け入れる一日として参りましょう。

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