今日のみ言葉【No.1032】(2015年 4月24日)

主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
(イザヤ1:18)

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預言者イザヤが活躍した紀元前700年頃は、イスラエル社会は神の御心に背く様相を呈していました。

強者が弱者を虐げ、不正がまかり通り、道徳心は廃れ、神殿での宗教行事は形骸化していました。

だからこそ神は預言者を遣わし、イスラエルの民の悔い改めを促しました。

国の衰退と民の堕落の流れをどうするかは、預言者イザヤの言葉を聞く国民一人ひとりの決心にかかっていました。

神は神に背いていった先の滅亡という結果も語りましたが、今日の聖句のように、神に従う時の恵みも語られました。

「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」
(イザヤ1:18)

そしてこの預言は新約聖書のイエス・キリストの十字架において完成しました。

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人生の分かれ道はここです。

神の差し出す手を

「まさかそんなバカなことが…」

と一笑に付してしまうか、

「そこに賭けて生きてみよう」

とするかです。

信じる者には常に「裏切られる」「期待したほどでなかった」という痛みを味わう可能性がつきまといます。

信じなければその痛みは味わいません。

ですから最初から

「そんなうまい話はない」

と決めつけて生きたほうが楽であることは間違いありません。

そして、

「どうせ無理だ」

と否定的方向を信じていれば、必ずその否定的現実を見ますから、

「やっぱりそうだった」

と自分の否定的確信はますます強まり、

「世の中そんなものだ」

と自信を持って言えるようになります。

今日の聖句を受け止めるか拒否するか。

これであなたの人生が決まると言っても過言ではありません。

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ひとたび立ち止まって、神の言葉を聞くひとときを持って参りましょう。

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