今日のみ言葉【No.1798】(2018年 7月10日)「 何のために、を問う人生」
身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。
(マルコ3:21)
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コンビニコーヒーはセルフ方式がほとんどですが、店員が手渡しする方式にこだわるのがローソンです。
実際、客と店員がふれあう人間的な場ができて和みますが、店側に負荷がかかるのは目に見えています。他のお客様もその間待たされます。
それでも手渡し方式をやり続けるのには理由があるそうです。
コーヒーを売って儲けることが目的ではなく、「”みんなと暮らすマチ”を幸せに」という企業理念を体現することが目的だからです。
「なぜそこまでして?」と見える背後には、そうすべき理念や原理が隠れています。
イエス・キリストは神の国の原理に動かされて活動していましたが、それが見えなかったのが家族でした。
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マルコ福音書で「家」と言うと、ほぼペテロの家です。
そこに群衆が集まり、イエス様と弟子たちは食事をする暇もないほどの忙しさで活動していました。
そこにイエス様の身内の者たちが来て
「イエスを取押えに出てきた」
(マルコ3:21)
とあります。
彼らにはイエス様の行動が理解できないものだったので、やめさせようとしたのです。
この後の律法学者たちも理解できず、彼らの出した結論は
「彼はベルゼブルにとりつかれている」
「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」
というものでした。
自分たちの経験や知識に頼るだけでは、イエス・キリストの福音はわかりません。
まず神の国の生活原理があり、その上で地上生活のことを考えるイエス・キリストの行動を正しく捉え、理解することなど無理だったのです。
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永遠の天国での生活を基準にし、その過程としてほんの一時期だけ地上の生涯を歩むのだとクリスチャンは考えます。
すると、
「この世のみ」
「死んだら終わり。後は無い」
と考える人たちとは意見も行動も異なってきます。
マザー・テレサは、炊き出しをするシスターたちに必ず3つのことを実行するように諭していたそうです。
「パンとスープボウルを渡す時には、相手の目を見て、ほほえむこと。手に触れて、ぬくもりを伝えること。そして短い言葉がけをするという三つです。それは、ロボットにはできない、人間の、他の人間に対する愛と祈りの表現です。」
(『面倒だから、しよう』、渡辺和子著、幻冬舎、P54)
効率を考えれば、最小のコストで栄養豊富な食物を備え、最短時間で最大人数に与える方法が正解だと思われます。
しかし、人間を神が造られた最も崇高な存在とする神の国の原理では、それは不正解なのです。
人は神の子の命を犠牲にしてでも惜しくない尊い存在。
その考えに基づいて行動するとき、なんと非効率的な生き方だと批判されるかも知れません。
しかし、愛とは手間暇をかけた非効率的なものです。
誤解された時は、目を高く天に上げ、この世において毎日なすべきことを続けていくことです。
やがて誤解が解ける日が来ます。
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何のためにそのことをするのか。
神の国を仰ぎながら、今日の地上の生涯を歩んで参りましょう。
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無料でこのような心励まされるメッセージを提供いただき、感謝の一語です。
自分と意見が似通った人の事は、容易く愛せますが、自分に悪意を持った人の事は全く愛せません。そういう人の為に、イヤイヤでも祈る私がいますが、この頃疲れてきました。でも先生のメッセージを読みながら、イヤイヤでもいいから、一秒でもいいから、毎日頑張って祈っていきます。イエス様と一緒に。
いつもありがとうございます。
応援しています。